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庄川の夜高行燈

2017.6.6

花火とともに酔いしれる男衆の心意気

庄川夜高行燈の合せ

庄川夜高行燈の合せ

行事の名称:庄川の夜高行燈
開催日:6月第1土曜・日曜日
     ※庄川観光祭に合わせて行われます
場所:砺波市庄川町青島・金屋
団体:庄川町夜高保存会

砺波地方でヤスゴト・ヤスンゴトといわれる田祭りは田植え終了を祝う行事で、6月10日・11日前後に行われる。この日、子供たちが夜高行燈(ヨータカ)を掲げて集落を巡り、五穀豊穣と豊年万作を祈念する。砺波地方では庄川をはじめ、出町や津沢で盛大な夜高祭りが行われているが、庄川はその皮切りである。

「合せ」と「手締め式」
下村の大行燈(H25.6.2)

下村の大行燈(H25.6.2)

庄川夜高の発祥については、雄神地区で明治20年頃から始められたとの言い伝えがある。のちに金屋地区と青島地区が福野の夜高行燈をまねて大型の夜高行燈を制作し始めた。戦中戦後を通して一時廃れたが昭和28年から町の観光祭として復活し、昭和37年には休止状態となったが47年に再興し、現在まで観光行事として行われている。

現在の庄川夜高行燈は初日の夜に点灯式が行われた後、太鼓と拍子木に合わせて夜高行燈の町練りがなされる。夜高行燈コンクールと「合せ」(あわせ)とよばれる行燈どうしのぶつけ合いがなされる。翌日は町練りの後、夜半に「手締め」がなされ、行事は終了する。庄川支所前で大行燈と若衆が集合して行われる「手締め式」の光景は圧巻である。

<参考>
庄川夜高若連中 2013『庄川夜高行燈』チラシ
庄川町史編さん委員会 1975『庄川町史』上巻
庄川町青島公民館 1998『庄川町青島・昭和戦前戦後のできごと』
全国山・鉾・屋台保存連合会魚津市大会実行委員会 2012『富山県の築山・曳山・行燈』

スケジュールと参加の町内
位置図

位置図

<スケジュール>
◆1日目
午後7時20分 御神燈点燈式
夜高行燈コンクール
午後7時30分〜 小・中行燈
午後9時〜 大行燈
コンクール終了後、「合せ(あわせ)」

◆2日目
午後7時30分〜8時30分 小・中行燈集合
午後7時30分〜 大行燈「合せ(あわせ)」
(富山銀行前)
午後9時〜 大行燈「合せ(あわせ)」
(庄川生涯学習センター前)
午後11時〜 大行燈手締め式


<参加の町内>
◆大行燈
中路クラブ・庄新会・清流会・下村・中之島若連中・東部松栄会・西部西友会・南部野若連中・京坂

◆小・中・大行燈
清流会・京坂・畑直二十日会・清水町清友会・南部野若連中・庄新会・中之島若連中・東部松栄会・中路クラブ・西部西友会・下村・示野・サンパチ会・舟誠会・種田地区児童・母親クラブ・雄神小若連中

※平成25年、京親会

<近年の動き>
・ハッピコースターを制作(H24)
・8町内の若衆約20名で庄川夜高若連中を発足(H24.11.17)
・夜高グッズとしてハッピストラップ、クリアファイルを制作(H25)
・プール横に看板を設置(H25)
・夜高行燈にGPSを搭載し、チラシのQRコードからアクセス可能に(H29)

※平成29年現在

庄川夜高のはじまり

庄川町史上巻には、庄川夜高の発祥について以下のように記載がある。

「昭和の初期(七、八年ごろ)、金屋・青島の若連中が福野町の夜高行燈をまねて町内会・常会ごとに大行燈に飾りをつけて村の中心部を練り歩くようになった。その後、年を追って普及し、相競うようになった。そして、町内会ごとの大行燈は、その順位などをめぐってせりあううちに、高さ五、六メートルの心棒が折れたりしたので、これが年々大型化する原因ともなった。」(庄川町史上巻P928)

その後、戦時中や終戦直後に祭りはすたれていたようだが、昭和28年から庄川観光祭が開催されるようになり、以前にもまして盛大なものになったという。

*青島地区は、昭和21年6月11日に久しぶりに夜高行燈を復活させたという記録がある(庄川町青島公民館1998)。そして22年・23年と続いた。

最盛期には大小あわせて30数台の行燈が街並みを練り歩いたという。しかし、昭和30年代頃から下降線をたどる。夜高の制作が若者の勤務に支障をきたし、また自動車の増加で町練りに問題が生じたためである。

そして昭和37年には全く廃れてしまったが、昭和47年に金屋の清水町内が復活を試み、昭和48年には金屋・青島地区の町内から大行燈が6台、中・小行燈が10数台繰り出し、賑わいをみせた。以後、現在まで続いている。

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アクセス
砺波ICから車で20分

お問い合わせ

庄川観光祭実行委員会
TEL: 0763-33-1111
FAX: 0763-33-6854