森川栄次郎
2014.2.17
金屋石工の先駆者
天保10年(1839)−明治36年(1903)4月5日(65歳で没)
森川栄次郎(もりかわえいじろう)は明治時代の砺波地方を代表する石工であり、生涯の間に千体の石仏を刻んだとされる。
栄次郎は天保10年(1839)に茶木村(今の砺波市安川)谷内家に生まれ、幼少期は金屋村(今の砺波市庄川町金屋)の石工森川栄次郎に弟子入りし、石工としての腕をかわれて森川家の養子となり、のちに二代目栄次郎を襲名した。
その仕事ぶりは実直謹言、無駄なことは何一つしゃべらず、ひたすら彫ることに没頭したといわれている。
千体の石仏を彫ったとされる栄次郎であるが、石仏に銘の入ったものはあまり多くない。
<森川栄次郎の銘の入った石仏>
明治17年(1884) 46歳 十一面観音(砺波市庄川町金屋西野)・・・ふるさと文化財
明治18年(1885) 47歳 十一面観音(砺波市秋元・観音堂)・・・ふるさと文化財
不動明王(砺波市太田・萬福寺)
明治22年(1889) 51歳 不動明王(砺波市東別所)・・・ふるさと文化財
明治23年(1890) 52歳 十一面観音(砺波市石丸)
明治27年(1894) 56歳 不動明王(砺波市井栗谷)・・・ふるさと文化財
明治28年(1895) 57歳 不動明王(南砺市(旧井波町)・東城寺八幡社)
明治29年(1896) 58歳 不動明王(南砺市(旧井波町)・沖神明社)
明治31年(1898) 60歳 十一面観音(南砺市(旧井波町)今里)
明治32年(1899) 61歳 不動明王(砺波市庄川町金屋・瓜裂清水)
合計10体に銘が彫られてあり、すべて1m以上の大きな作品である。
とくに井栗谷の不動明王は高さが240cmにも達するもので、栄次郎にとっては自信作だったことと思われる。
<参考>尾田武雄1999「千体の石仏を刻んだ明治の石工森川栄次郎」『北陸石仏の会研究紀要』第3号 北陸石仏の会