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G大門素麺の復興

2014.5.27

大門素麺の復興

 戦後食料不足と諸原料の入手困難等で素麺の生産は年々少なくなり、昭和二十五年以降は年産千俵を割るまでに至りました。しかしわが国の経済復興に伴って、国民の経済も豊かになり、食生活もだんだんと贅沢になってきて価格よりも食味のよいものを求めるようになって来た。

 そこで郷土色豊かな手製で風味よく、しかも古来よりの独特な梱包された大門素麺が、都会の人々に好まれ贈答用としての需要が急激に増加して予約注文が殺到しその注文におうじきれないまでになりました。他の原料も入手できるようになったので、昭和四十年ごろから大門素麺の生産が復興し始めました。


製造方法も時代の進歩に即して次のように改善されました。

(1)生産費を少なくするため、機械力を利用し省力化した。

(2)人工乾燥設備をして、天候の支配を受けることなく毎日製造できることにした。

(3)工場を冷房して、従来冬期三ヵ月だけ製造したものを、その期間を長くした。

(4)包装を改良して贈答用として喜ばれるようにした。


以上の改善によって、一戸の生産量が増大し収入も多くなったので、冬期間の副業として将来もますます発展することでしょう。


【庄下村誌編纂委員会『庄下村史誌』より抜粋】