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@銘酒を育てた砺波の風土

2014.6.24

銘酒を育てた砺波の風土

 日本酒は米と水から作られる銘酒と呼ばれる良い酒の産地は、気候に恵まれ、「水と米とすぐれた杜氏」が条件といわれる。

 この点、砺波地方は庄川と小矢部川の清流に恵まれて、早くから平野一面が水田化され、質の良い砺波米の産地として知られてきた。また、冬は雪に覆われ、三方が山に囲まれた盆地状に近い地形のため、冬の「底冷え」は厳しく、酒造りに恵まれた気候の土地である。

(1)酒造りに適した水

「名水あるところに銘酒あり」といわれるように、酒造りは水の良し悪しが決め手とされる。

 砺波平野は扇状地の平野で、地価の砂礫層には、庄川・小矢部川などから供給された良質で豊富な地下水が満たされている。また、周辺の山麓各地にみられる湧水は、どの水も酒造りに適した水とされている。

 砺波地方の水は、灘の「宮水」とは異なり、いずれも軟水である。酒造りに最も嫌われる鉄やマンガンが少なく、カリウム、リン酸、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルを適度に含んだ水である。

 例えば、庄川扇状地の扇頂部にある砺波市の立山酒造では、30メートルと90メートルの深井戸からくみ上げた水で酒が造られる。水温は12.6度、鉄分0.0025ppm以下で、カルシウム、マグネシウム、塩素などを適度に含む酒造りには極めて良質の水である。扇央部にある砺波市の若鶴酒造でも、60メートルの深井戸からの水が使われる。水温12度、鉄分が0.0001ppm以下、カリウム、リン酸、カルシウムなどのミネラルを適度に含んだこれも良質の水である。福光町の成政酒造では、医王山の山腹にある水吐(みずはけ)の岩壁から湧き出る名水「槍の先の水」が使われている。医王山は流紋岩質の酸性岩類からなる山であり、そこから湧き出る水は鉄分が少なく、酒造りに適したミネラルを含んでいる。水温は一年を通じて10度前後である。この水源は湧出量が多く3000トンもあり、福光町の上水道源としても利用されている。井波町の若駒酒造は八乙女山麗の伏流水で造られる。近くには、「瓜裂清水」、「不動の水」などの名水がある。五箇山平村の三笑楽酒造の酒は、庄川左岸の谷間、上梨集落の崖下に湧き出す水を汲み上げて造られる。

 酒造りには、水質もさることながら多くの水が必要である。米1トンに対して、水20から30リットルが使われる。桶洗いの水、洗米用水、浸漬用水、仕込み水、加水調整用水(割水)、ボイラー用水などである。

 かつて、砺波地方の酒造の分布を見ると山麓の谷口や扇状地を流れる川に沿って多く分布していた。これは、明治の頃、砺波地方の酒米は水車によって精米されていたことによるものである。

(2)酒造りに適した米
図A 昭和13年砺波郡の蔵元の記録

図A 昭和13年砺波郡の蔵元の記録

 銘酒を造るにはよい米が必要といわれる。

 いい酒米「酒造好適米」は、粒が大きく、タンパク質や脂肪分が少なく、心白が大きくて、精米しても崩れず、給水性の早い米がよいとされる。このような米は食べてもパサパサして美味しくない米である。代表的な銘柄として、山田錦、五百万石、美山錦、八反錦、雄山などがある。山田錦は岡山県の山間地を中心に栽培される米で、「好適米の王様」といわれ、吟醸酒造りに全国各地で使われている。

 五百万石は、昭和32年に新潟県で生まれた品種で、新潟、富山、福井を中心に約6000ヘクタール栽培され、酒米として生産量がもっとも多い品種である。もちろん、砺波平野でも栽培されている。南砺地方を中心に栽培される五百万石は、心白率がきわめて高い、粒の大きな好適酒米として評価が高い。なお、五百万石は「夏子の酒」で有名になった「亀の尾」の曾孫にあたる品種である。

 日本酒は、約2000社で年間140万キロリットルほど生産されている。この酒がすべて好適酒米で造られているわけではない。1年間に全国で造られている酒造用米は約55万トン、この内、酒造好適米はその15パーセントほどで、大部分は一般米が用いられている。砺波地方の酒蔵でも、山田錦や五万石などが酒米として使われているが、この他に、自主流通米や多用途米のコシヒカリ、フクヒカリ、日本晴、などが多く使われている。高価な酒造好適米は主に、吟譲酒造りや本醸造の麹・酛造りに用いられる。一般米100パーセントで造られる酒が多いのである。もともと、砺波地方の酒造りには地元の米が使われていたのである。好適米が他県から移入されるようになったのは、北陸線が開通してからのことであろう。

 昭和13年、砺波郡内の某蔵元の酒造りには図Aのような記録がある。

 播州(岡山県)からの64石は山田錦と思われる。原料米940石のうち500石は大場・その他の富山県産の米である。現在造られている酒は、酒米の精米歩合が大吟醸で50パーセント以下、吟醸酒で60パーセント以下、本醸酒で70パーセント以下とされているが、この蔵元の酒は吟譲酒が50パーセント、並酒が75から80パーセントの精米歩合で造られていた。

 この頃、砺波地方の酒蔵では、新石白(与三次郎)、銀坊主などが使われていたといわれる。

 第二次大戦中は米の統制は厳しく、どの酒蔵も酒米の確保に苦労が多かった。終戦直後は酒米の割当が極端に少なく、屑米やコウリャン、ときには米糠を利用してまで酒造りが行われていたようである。

 五箇山平村の三笑楽酒蔵は、わが国で稀な隔絶山村に造られた酒蔵である。平村で米作が盛んになったのは戦後のことである。昭和2年に八幡道路が開通するまでは、砺波平野の米が麓の城端から峠を越えて人の背で運ばれた。この貴重な米で酒が造られ、主に平・上平・利賀の五箇山の人々に愛飲されてきた。

(3)酒造りに適した気候
図1砺波の気温

図1砺波の気温

 日本酒は、北海道から九州まで全国各地で造られている。杜氏の技で、その土地の気候風土を生かした銘柄が多くに見られる。

 酒造は、冬の寒さなどの自然条件に大きく左右されてきた。冷房設備や製氷機を備えた酒蔵が多くみられるようになった現在でも、気候条件が大きな意味をもっていることに変わりはない。

 寒くて雪が降る砺波地方の冬は酒造りに適した気候である。砺波の気温は、8月が25.3度、1月が1.6度で、夏は熱帯気候、冬は寒帯の気候になる。暑い夏には良い酒米が育ち、冬は寒くて雪が降り酒造りに好都合な気候となる。特に降雪時の澄んだ空気が銘酒を育てるともいわれる。

 酒造りは「一麹、ニ酛、三造り」ともいわれる。麹が米のデンプンを糖に変え、酛(酵母)がその糖分を醗酵(アルコール化)させる。この二つを同時に行うのが造り(醪造)である。この二と三の工程には低温が必要で、酛の仕込みは5から7度、造(醪造)は8から10度で仕込み、10から15度で管理される。この温度は酒の種類や酒蔵によって違う、吟醸酒は一般に低温で造られる。

 秋の収穫も終わり、庭の柿が色づき、朝晩の冷え込みが強くなり、砺波平野には霜が降りる頃、どの蔵にも杜氏の姿が見られるようになる。早い蔵では11月中旬頃から麹造りが始まる。やがて、南都の山々に雪が降り、朝晩の最低気温は5度以下となり、仕込み作業に適した気温となる。仕込みに使う水は、前夜または前々夜に桶に汲み、外気に冷やして使う。12月に入ると日中の最高気温が10度以下になる日が多くなり、どの蔵でも本仕込みが盛んに行われるようになる。1月は雪の日が多くなり、日中の気温が5度以下に下る日が続く。この時期に仕込まれたのが「寒造り」である。雪に覆われた静かな酒造の中で、仕込桶の醪はきれいな空気に触れてゆっくりと醗酵し、風味の良い酒が造られるのである。仕込み作業は日中の気温が10度を越える3月中旬まで続けられる。

(新藤正夫)



【砺波郷土資料館『砺波野が育んだ地酒』1995年より抜粋】