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8−1鉄道工事

2015.1.30

東海道線

東海道線路線図

東海道線路線図

   

佐藤組の鉄道工事

 佐藤組が初めて鉄道土木に手を染めたのは東海道線時代で、沼津より富士川附近の土工を引受けたのが最初である。その折り初代助九郎は未だ血気盛りで、自ら陣頭に立って采配を振るったのである。

 その時郷里から引率して往った土方は300人許り、加賀から工事道具を担いで神通川を遡り、飛騨の高山を経て名古屋へ出で10日許り費して現場へ着した。而も富山は雨の多い所であるから皆蓑笠を着けて300人が道中したとゆうから、一種変った観物であったに相違ない。

 尚佐藤組は東海道線建設工事に於て西部の遠州堀内、袋井、掛川、中原より天竜川畔までの土工を引受け、東海道線が全通するまで従事し、特に監督技師原口要とは非常に情意統合して殆ど兄弟の如き情誼を結び、長く親交を続くるに至った。 (『日本鉄道請負業史 明治編』)

今須隧道工事
今須隧道工事

今須隧道工事

 

東海道線今須隧道(トンネル)工事

 明治30年7月から同31年11月のあいだに、佐藤助九郎は東海道線の近江長岡・関ヶ原改良線の今須隧道掘削工事を請負っている。今日残されている請負契約書を見ると、工事には、大工・石工・坑工・斧指・煉瓦積職・土方人足など、賃金の異なる15種の職工人夫が投入されたことがわかる。

 人夫の延人数は、土方人足17万4300人、坑夫頭・坑夫・坑夫手伝が合わせ6万5600人と非常に多い。工期1年8ヶ月の間に動員された人夫は合計37万9940人で、その合計賃金は15万2523円30銭となる。

 助九郎は、明治30年から31年の間に、東海道線では今須隧道工事のほかに、妙応寺及北谷川橋梁新設工事、中狭川橋梁工事など3つの工事も請負っている。

 一方、富山県内でも助九郎は明治29・30年と続いた大洪水に対処するための河川改修工事を、県内の大河川についてほぼ独占して請負っており、「佐藤組」としてかなり大規模に各地で活躍していたことが知られる。



【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋