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11南般若(みなみはんにゃ)その1

2016.8.19

南般若地区の大字・小字一覧

 地区名 大字小字 
 南般若  
1秋元

1東島 2窪田島 3宮島 4三竹島 
5小徳島 6西島
   
2千保

1松木島 2端野島 3内ノ島 4中野島
5外野島 6千保新
   
3大窪

1高島 2大島 3宮島 4弥市川原 5大窪
   
4東石丸

1上井島 2円満寺島 3大島 4宮島 5弥市(古田島)
6千保新 7石丸又新 8油田狐島

1. 秋元(あきもと)

1 東島(ひがしじま)

   小字の由来は未詳。大井川の東。上流は光福寺の角から光證寺の南東まで。

  ・カワイケノソト(川除けの外) 大井川の渕に堤防があり、外(東側)にあったから。
  ・ヒガシダ(東田)
  ・オオイガワノヒガシ(大井川の東)
  ・カワバタノソト(川端の外) 旧大井川の渕に堤防があり、その外側(東方)にあった故に名付けられた。


 2 窪田島(くぼたじま)

   小字の由来は未詳。大井川の西、県道八谷瀬川高岡庄川線まで。光福寺の角から光證寺の南まで。

  ・ハスノタンボ(蓮の田圃) 沼田系統の田で以前蓮が植えられていた。
  ・ミナミヅクリ(南作り) 南氏という秋元地区一の屋敷の家があった。元井光孝(元井実の父)が農地解放の時に元井金正と交換。その後今井順二の所有となる。(圃場整備事業により)
  ・リスケヤシキ(利助屋敷) 秋元地区の最東部で東南の川渕(大井川)にあった、利助という人の屋敷跡。
  ・サンゾウノクボ(三蔵の窪) 三蔵という人の昔の居住地であった。窪というのは、周囲の田より2尺位低い田であったため。
  ・カミナリダ(雷田) 元井実宅の東北に庄右衛門という大きな家があり(婦中町へ移住)、現在も光福寺(秋元)の門徒である大きな屋敷の木があり、全部伐採したために天狗様があばれゴロゴロ鳴る音が長く続いた。元井実宅で屋敷跡を買取り水田にした。田の仕事をするたびに荒れ模様となり最近(昭和年代)まで続いた。
  ・ハカンド(墓跡) 墓跡の訛ったものである。採掘の折り須恵器が出た。
  ・ハカンド(墓堂) 昔、各家庭に墓地があった。それが各地区に集約されたため各自の墓地は水田に改良された。
  ・フルヤシキ(古屋敷) 自宅が移転したため、以前の屋敷を開拓して出来た田圃。
  ・ゴボウダ(御坊田) 昔、ある寺院の持田であったため、このように呼んだ。
  ・ゴボウダ(御坊田) 御坊(寺)の屋敷跡を開拓されたものと思う。
  ・シケジ
  ・サカイメ(境目)
  ・マツバラ
  ・ハシテン
  ・ナガワリ(長割り)
  ・ヨンヒャクブ(四百歩)


 3 宮島(みやじま)

   小字の由来は未詳。県道の西堂川まで。光福寺の南から速恩寺の東北まで。

  ・ドタン(どたん) 又七宅と孫右衛門宅の間の堂川渕東方の低い田圃である。
  ・オバタケ(麻畑) 昔織物が盛んな頃、堂川渕に細長く麻の栽培畑が存在していた。
  ・ドウガワフチノコダ(堂川渕の小田) 堂川の渕の面積(2坪)の小さい田。
  ・ミナミエミチノウエオオダ(南江道の上大田) 現権正寺道路渕に広がる大田
  ・セキヒヨコノサンカクダ(石碑横の三角田) 秋元八幡神社の参道前、県道渕に石碑があり、地形上三角形の田圃となったところから呼ばれるようになった。
  ・トオウブノタ(遠辺の田) 自宅から遠く離れた田。
  ・ミヤノマイ(宮の前) 秋元八幡神社の前方にある田。
  ・サンマイダ(三昧田) 秋元の観音堂の前方で、昔火葬場があったといわれている。
  ・ハイゴヤノタ(灰小屋の田) 


 4 三竹島(みたけじま)

   小字の由来は未詳。堂川から大蛇口用水まで。大蛇口用水から速恩寺の西まで。

  ・ショウミョウジダ(称名寺田) 昔、称名寺(東開発村)の所有田であった。
  ・オバタケ(麻畑) 昔織物の盛んな頃、堂川渕に細長く麻が栽培された。その畑跡の水田。
  ・デンシンバシラノタ(電信柱の田) 大正末期電柱が田圃の中にあった。そのため、その名称がついた。
  ・サンリン(山林) 昔、雑木林であったものを開拓水田とした。
  ・ビルダ(蛭田) 今井清宅と元井幹夫宅の間で日射しもよくなく、蛭が多発する田であった。
  ・ジゾウサマダ(地蔵尊様田) 旧秋元地区の地蔵尊堂のあった近辺の田圃。
  ・カラムシダ(殻虫田) 毎年稲に殻虫が入ったため、俗称このように呼んだ。
  ・ドンガワブチ(堂川渕) 堂川という深い川の渕にあった田圃。
  ・ロクマイダ(六枚田) 水の取入口が1ケ所で、次々と6枚の田に水が流れ込んだ田の総称。
  ・ヤシキダ(屋敷田) 旧松本八右衛門宅があった古屋敷跡を開拓して出来た田圃。
  ・カキノキダ(柿の木田) 旧屋敷跡に柿の木が残されていたためにこのように呼ばれていた。
  ・セドノカギダ(背戸の鉤田) 鉤の形をしていることから鉤田といわれた。
  ・セドノクボ(背戸の窪) 八幡神社の奥殿、拝殿の造成の際土盛りにその田の土を使用したため、田面が下がり窪地のようになった。
  ・サンマイジマ(三昧島)
  ・シキジ 場所は庄三郎宅の背戸にあたる。


 5 小徳島(ことくしま)

   小字の由来は未詳。大蛇口用水西から金屋口用水南まで。柳瀬北から秋元西島の境まで。

  ・フナツキバノタ(舟着き場の田) 吉田信男宅の前に大蛇口用水があり、小舟が発着した場所。
  ・サンマイダ(三昧田) 秋元観音堂の前方で、昔火葬場があったといわれている。
  ・ムシミヤノタ(虫宮の田) 大島社(通称虫宮という)の近辺にあった田。
  ・シキジ(しきじ) 雉の巣があり、雉のたまり場だった。
  ・カヤカブダ(茅株田) 旧吉田信久宅の屋敷背戸側に茅の生い茂った土堤があり、その所を開拓して水田とした。
  ・カンガラミヤダ(上川原宮田) 現在秋元墓地の東方に上川原宮があった。後に秋元八幡社に合祀されたが、その近辺の田の呼び名。
  ・ノマダ(沼田) 忠右衛門宅と長七宅の間で、小川渕で日光の当たりが悪く、常に水がたまっていたため沼田といった。
  ・ハカバダ(墓場田) 墓地近辺にあった田圃。
  ・ムジョウドノタ(無常土の田)


 6 西島(にしじま)

   小字の由来は未詳。金屋口用水から千保境大窪境まで。藤沢電工株式会社の南から西部金屋境まで。

  ・ノマダ(沼田) 川の合流点で乾くことがなく、秋の刈取りには大変苦労した田圃。
  ・ヒラキダ(開田) 祖父が3枚の田を開拓し、1枚の田圃にしたもの。
  ・カワダ(川田) 旧金屋口用水の近辺の田圃。
  ・ガッコウダ(学校田) 旧南般若小学校(現在農協南般若支所)の近辺の田圃。
  ・デンシンバシラノタ(電信柱の田) 大正末期ごろ、電柱は田圃の中に設置されていた。

2. 木下(きのした)

2. 千保(せんぼ)


 1 松木島(まつのきじま)

   小字の由来は未詳。祖泉境より大窪口用水の東。祖泉境より大窪神社の南。

  ・アラソジマ(荒砂島) 
  ・カワイケマイヒラキダ(川除前開田) 旧庄川の跡地。


 2 端野島(はたのしま)

   小字の由来は未詳。千保川用水から矢木境まで。矢木境から高速道路の千保川ボックスまで。

  ・ドロアゲバ(土上場) 千保川より土を入れた。
  ・ソトワリ(外割) 旧庄川の堤防があった外側。
  ・キツネノアナ(狐の穴) 用水分岐点の三角地に、用水を堀削した土砂を積上げて作った砂利山があった。昔この山に狐が住んでいたと古老より聞いた。


 3 内ノ島(うちのしま)

   小字の由来は未詳。大窪口用水の西、石丸口用水の東、祖泉の北から上井島の南側まで。

  ・シンミヤノマエ(新宮の前) 新宮(日吉社―千保中野島1456番地、大正9年4月27日千保神社に合祀)の前の田。
  ・ミヤノセド(宮の背戸) 千保神社の後の田。
  ・キタロウヅクリ(喜太郎作り) 喜太郎という人の耕地(北海道へ移住)
  ・カギタ(鍵田) 鍵の形のように曲がった田。
  ・テンコダ(天高田) 基盤の高い田。
  ・ワヘイヤシキ(和平屋敷) 明治初期石野和平屋敷跡(北海道へ移住)
  ・タカジマ(高島) 堤防の切れた高段の一角を高島と呼んだ。
  ・ナカズエモン(中水門) 昔、庄川が宮村と千保の中間を流れたときの二番堤防である。これを中水門と呼んだ。
  ・ナカズエモン(中水門) 旧庄川が流れていた一番堤防の横に水門があって、下流の川への取入先の田の一角。


 4 中野島(なかのしま)

   小字の由来は未詳。東は内ノ島、西は端野島、南は端野島、北は外野島。


 5 外野島(そとのしま)

   小字の由来は未詳。石丸口用水の西から三郎丸境まで。砺波アスコン(株)の北側からにれの木団地まで。

  ・カワニシノタ(川西の田) 旧千保川の西の田。
  ・センボカワブチ(千保川渕) 旧千保川の渕。
  ・ムジョウド(無常土) 火葬場の所。
  ・イチバンカワイケ(一番川除) 旧千保口用水の東側、旧石丸口用水の取入口のすぐ下流に沿って約100m近く旧堤防跡が残っていた。これに沿って南北に走った1団地をイチバンカワイケと呼んだ。即ち一番カワイケとはその一番堤防である。今は改修された千保口用水がこの田を南北に走り、その西側は岩崎建設アスファルトプラントとなっている。
  ・タカガワラ(高河原) 東部小学校付近。
  ・ナカクボ(中窪) 荒地を開いて田を作り、一般的に低地なので中窪と名付けた。
  ・サンタロヒラキ(三太郎開き) 三太郎という人の開いた田。
  ・シンヤハリ(新屋張)
  ・ナカシマ(中島) 一番川堤の西側に沿って旧千保口用水及び石丸口んぽ中間に一列に南北に6枚の田があった。これを中島と呼んだ。


 6 千保新(せんぼしん)

   小字の由来は未詳。現在のにれの木団地付近。

  ・センボシン(千保新) 小字の名。
  ・チセンダ(地仙田) 現油田地区に地仙という地名があって、その付近の田をいった。
  ・ニシノカワラ(西の川原) 昔、庄川跡の堤防が残っていて、その川原を開拓した水田を通称川原田と呼んでいた。

 

【砺波市老人クラブ連合会発行「砺波市の地名−郷土の字・由来調査事業報告書」1993年より抜粋】