11南般若(みなみはんにゃ)その2
2016.8.19
3. 大窪(おおくぼ)
3. 大窪(おおくぼ)
1 高島(たかじま)
小字の由来は未詳。千保の内ノ島の中央の西側。
2 大島(おおしま)
小字の由来は未詳。千保の松木島の中央の西側。千保神社の東。
3 宮島(みやじま)
小字の由来は未詳。千保内ノ島の北側。秋元西島の西。東石丸南部農道(2号線)の南。東石丸上井島の東。
・ワヘイヅクリ(和平作り) 明治中期石野和平屋敷跡。和平は北海道へ移住。
・ワヘイヤシキ(和平屋敷) 明治中期石野和平が北海道へ移住され、その屋敷跡を開拓水田に造成した。
・ゴミカケダ(芥掛田) 川からたくさんの芥が流れてくるのをこの田で集積した。
・ゴミカケダ(芥掛田) 田に川泥を野積する田圃。
・カンボヤシキ(妾屋敷) 明治初期、村の顔役が妾を住まわせた屋敷跡。
・ショザイモンヅクリ(庄左衛門作り) 明治初期、庄左衛門という人の屋敷跡。
・サンカクダ(三角田) 大正期、道路造成のため穴を掘って砂礫を採集した跡田で、形状が正三角形だったため、このようにいわれた。
・ミヤノオオモンノタ(宮の大門の田) 現大窪神社の鳥居の前方の田を呼ぶ。
4 弥市川原(やいちがわら)
小字の由来は未詳。東は西部金屋境。西は大窪口用水の西側。東石丸南部農道2号線の北から吉住新の境(南)まで。
・ヤマミチダ(山道田) 弥市川原と円満寺の境界に山へ通ずる道があった。その道路付近の田を呼んでいた。
・ミヤヤシキ(宮屋敷) 村社八幡社は大正4年、現大窪神明社に合祀された。後、宮屋敷を開拓して水田にしたもの。
・サンダンツボ(三反坪) 現在の田は三反歩の田に統一されたが、昭和初期には1枚の田が三反歩あるのは珍しかった。
・スギカイドウ(杉街道) 昔、杉並木のあったところを開拓し、水田に造成した。
・カワダ(川田) 地形が周囲の田より低く細長い田であったため、川のような田圃。
・ノマダ(沼田) 窪地を開拓したため膝までつかる沼田だった。大窪の地名も開拓しやすく、沃土が豊富だったため、好んで窪地・沼地を田に造成した。故に大窪地番の飛地がいたる所に存在した。
・マツエ(沫江) 田面が川底より高いので、川をせき止めて水を入れた。
・カメクボタ(亀窪田) 円満寺地区に弥市川原の飛地があり、特別に低い窪地で亀が住んでいた。
・ハカバダ(墓場田) 大窪墓地の付近にあった田圃。
・チョウザイモンジマ(長左衛門島) 田面が低くて細長い田が多くあった。また、河川が入り込み、そこ一面を長左衛門島と呼んでいた。
・オオマスカワラ(大増川原)
・クボノシタ(窪の下)
・ヒラタジマ(平田島)
・ヤグチ
・ナカクボ
・ヤイチクボ
5 大窪(おおくぼ)
4. 東石丸(ひがしいしまる)
1 上井島(うわいじま)
小字の由来は未詳。大窪宮島の西側。石丸口用水の東側、油田―大窪線の北山道まで。
・サンペイダ(三平田) 旧三平宅跡の田。
・フルヤシキダ(古屋敷田) 旧屋敷の跡。
・サンダンツボ(三段坪) 用水の流れが上流から三段に流れ落ちていた。
・カワムコウダ(川向田) 石丸口用水支流の反対側にあった田。
・ハカバノタ(墓場の田) 昔、墓があった所。
・カキノキダ(柿の木田) 柿の木が川渕にあった。
・クワノキダ(桑の木田) 養蚕が盛んな頃、桑の木があった田。
・ヨコエガワノサンカクダ(横江川の三角田) 横江川の入りこんだ中に三角形の田があった。
・ウマクグリ(馬くぐり) 横江川(幅3m程の大きな川)の両岸に雑木がたくさん生えており、昔から「クロ」と呼んでいた。その横江川にかけてあった幅1m程の狭い橋を馬くぐりの橋といった。昔、東石丸村北部の子供達が南般若小学校へ通学する近道であった。
・マイノオオダ(前の大田) 1枚250坪の大きい田で上井島より大窪地内へ入りこんでいるので、昔から飛田島と呼んでいた。
・カワダ(川田) この箇所の分水嶺が3〜4ケ所あり、田面も周囲の田より2尺程低いため、洪水のときには一番速く水没した。
2 円満寺島(えんまんじじま)
小字の由来は未詳。大窪弥市川原の西。横江川の東山道の北、吉住新の境界まで。
・サンゼンマチ(三千町) 昔、屋敷が多くあった所で庄川の洪水で流された跡。
・ヤグチワリ(家口割) 1枚の大きい田を畦を作って2枚に分けた田。
・ハンノキノシタ(はんの木の下) 高段の横に大きなハンの木があった。
・ナマズダ(鯰田) 昔、ナマズ川といわれた川の横にあった田。
3 大島(おおしま)
小字の由来は未詳。
4 宮島(みやじま)
小字の由来は未詳。上井島及び円満寺島の西側。油田石丸境まで。にれの木団地の北から吉住新の境まで。
・スナタ(砂田) 砂の多い田。
・ガケノシタ(崖の下) 周囲の田より約1.5m程低い田。
・スゲホシカワラ(菅干し河原) 昔「スゲ」が作られ、乾燥した所。
・ハカノタ(墓の田) 墓地の近くの田。
・タチリダ(立り田) 昔、高い所であった。
・ガラダ(礫田) 土が少なく、小石の多い田。
・ゴンカケ(塵掛) 石丸口用水を堰止めて流れてくる土や塵を入れた田。
・トイカケ(樋掛) 川より直接取水ができないので、セイコイ川の上に樋をかけて横の田より取水した田。
・トイカケ(樋掛) 田と田の間に川があり、取水のため川の上に樋をかけた田。
・コケカワラ(苔河原) 旧庄川の跡で、苔が多く生えていた所。
・ヒラキダ(開き田) 旧庄川跡地を開墾した田。
・シンカワヅクリ(新川作り) 千保川の横にあった田。
・ミヨシダ(みよし田) 「ミヨシ」(実らない籾)ばかり取れた田。
・カラカネ(からかね) 川の名。
・ゴボウガワラ(御坊川原) お寺が5ケ寺あった所。
・スイモンノタ(水門の田) 用水の水門の横にあった田。
・ヌマダ(沼田) じめじめとして排水の悪い田。
5 弥市(古田島)(やいち)(ふるたしま)
・トイカケ(樋掛) 川が下にあり、川の上に樋をかけて横の田より取水をする。
・ハンノキバリ(はんの木ばり) 大きなハンノ木があった。
・シンダサカイ(新村境) 高岡市吉住新に隣接している田。
・クボタ(窪田) 低い所にあった田。
・フネツナギ(舟繋ぎ) 旧庄川跡で、舟をつないだ所。
6 千保新(せんぼしん)
・ワヨモンヅクリ(和右衛門作り) 旧千保川改修前、高岡伏木へ舟便があった。その頃この土地は、舟着場であった。
7 石丸又新(いしまるまたしん)
・ワヨモンヅクリ(和右衛門作り) 旧千保川の近辺で窪地の田。
・ソトビラアキダ(外開田) 遠地において開墾された田。
8 油田狐島(あぶらでんきつねじま)
・シンカワブチ(新川渕) 舟戸口用水(新川)の横にあった田。
【砺波市老人クラブ連合会発行「砺波市の地名−郷土の字・由来調査事業報告書」1993年より抜粋】