元井 豊蔵
2015.2.19
螺旋水車(らせんすいしゃ)の生みの親
元井 豊蔵
明治21年〜昭和2年
(1888〜1927)
出生地: 現 砺波市秋元
明治21年、砺波郡南般若村秋元(現:砺波市秋元)の農家に生まれました。母一人によって育てられた豊蔵は南般若尋常小学校を4年で終え、その後は家の手伝いをしました。その頃の農作業は、耕耘は馬や牛の力を借りていましたが、それ以外の作業はすべて人が主に行っており、たいへんな重労働でした。
大正9年(大正5年という説もある)、豊蔵は大工道具のギムネ(ねじ込み錐)の破損したものを見て、その構造をヒントに、らせん状の水車を考案したといわれています(ボルト、又は船のスクリューという説もある)。大正13年に新案登録をうけ、元祖元井式螺旋水車として発売しました。 その螺旋水車は、小さな水の落差(高低差)でも使用できることや、どこにでもある農業用水に取り付け、流れる水を動力として伝達し、脱穀機や籾摺機などを動かせることが評判になり、当時、富山県はもとより東日本で爆発的に売れました。
昭和2年、過労の末に結核を患い、40歳で逝去。 豊蔵が逝去した後、模造品が出たことや改良されたものが作られたことにより、会社は傾き、その後倒産してしまいます。そして戦後、モーターの登場により螺旋水車は世の中から姿を消しました。
しかし最近、螺旋水車の動力システムを利用した装置が自然エネルギーを利用した発電システムとして取りあげられました。90年以上前の発明が今、再び脚光を浴びています。
ゆかりの場所
用水にかかるラセン水車とドロウスのある風景
五連水車そばの螺旋水車小屋
砺波市花園町 チューリップ公園内
<参考文献>
ラセン水車 砺波郷土資料館蔵
『螺旋水車―富山平野の小水力全盛期』
田中勇人著
『砺波市に映える人びと』
砺波市教育会