村々のおこりと地名

  • 2016.9.30
    2古くひらけた村の新しい村(その2)
    庄と金剛寺村   今の庄地区は、雄神村合併(明治22年・1889)前の庄金剛寺村のことで、合併後も大字庄金剛寺村となっていた。この村も近世初期の元和・寛永の頃には庄村と金剛寺村と別村であった。そのことは産土神(うぶすながみ・人が生まれた土地の守護神)である村社…
  • 2016.9.30
    2古くひらけた村の新しい村(その1)
    現在、庄川町に置ける大字数は、旧東山見校下10(うち山方地区九)、旧青島校下2、旧雄神校下2、旧種田校下5、合計19である。これらの大字名は、そのほとんどが江戸時代(近世・1570年代〜)における村名がそのまま残されたものであるといえる。別表で示すように、近世初期の元和5年(16…
  • 2016.4.7
    1庄川町のあけぼの(その4)
    雄神神社の歴史  奈良時代以前に既に拝み神社を中心に、山麓の丘陵地帯や川辺に住民が住んでいたことを述べてきたが、今度は神社史を中心に、雄神神社とその周辺の様子をみてみよう。   雄神神社には式内社(しきないしゃ)として由緒ある古い神社として知られてい…
  • 2016.4.7
    1庄川町のあけぼの(その3)
    原始から古代社会 縄文時代(中期)に活躍した『庄川びと』はその後どうしたのか。縄文時代の次に弥生時代、次に古墳時代がやってくる。すなわち古代へと歴史が大きく移るわけである。水稲耕作がはじまり、鉄・銅などの金属器が大陸から輸入された弥生時代は、約2,300年前(B.C.3世紀)から…
  • 2016.2.25
    1庄川町のあけぼの(その2)
    松原遺跡の特徴  松原遺跡については、すでに『庄川町史』や『松原遺跡跡緊急発掘調査概報』などで、その状況がくわしく述べられているので、ここでは調査結果をもとにその特徴をみてみよう。遺跡の特徴は、遺物の中でも特に、縄文土器の分布状況とその移りかわりに見出すことができるが、…
  • 2016.2.25
    1庄川町のあけぼの(その1)
    日本人の起源  原始の『庄川びと』とは縄文時代中期に、庄川の第三河岸段丘の松原地内に倚を構えた縄文人を言うのであるが、その前に、広い意味の私たちの祖先、則ち日本人の起源について諸書に見てみよう。   この日本人の起源問題は、私たちのもっとも知りたいこ…
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