砺波野の草相撲の力士たち

  • 若松顔写真
    2015.2.12
    10−1砺波野の力士たち
    若松(鷹栖 室田與三太郎)明治の中ごろ、鷹栖村(現砺波市鷹栖)で生まれる。若い頃、京都へのぼって京相撲の力士となり小結まですすんだ。その後故郷へ帰り、明治45年(1912)には、富山に建設された常設相撲場の主力となり地元で活躍した。昭和5年(1930)3月20日に死去した。同年1…
  • 上:1 下:2
    2015.2.10
    9砺波野の草相撲
    1 庄川の土場(どば)相撲 昭和初年(砺波市立庄川図書館)金刀毘羅社は、金屋・青島両村の流送組など木材関係者共同の守護神である。日頃は青島の貯木場(「土場」と呼ばれている)に鎮座されているが、8月20日例祭の晩には金屋神明宮境内の拝殿に遷座される。この境内で行われた昭和…
  • 瑞泉寺本堂と寺務棟をむすぶ渡り廊下に揚げられている多くの関額
    2015.2.10
    8−3 井波別院 瑞泉寺と角力(相撲)講
     1 〜大正10年相撲講関札(1)(年未詳〜明治26年、32〜大正10年)  2  関札(ほとんど読めない) 3 大正11年8月21日&…
  • 力士名簿
    2015.2.10
    8−2 井波別院 瑞泉寺と角力(相撲)講
    力士名簿(南砺市井波 瑞泉寺蔵)「取持人」「法名 釋 」「郡」「町村」「姓名」が印刷された罫紙に力士名を筆書きで書き入れ、死亡年月日が所々に書き込んである。もっとも古い書き込みが「大正6年」死亡であるので、この名簿が作られたのは明治末年か大正初年ごろか。もっとも新しい書き込みは「…
  • 瑞泉寺の角力講(すもうこう)
    2015.2.10
    8−1 井波別院 瑞泉寺と角力(相撲)講
    泉寺の太子堂は、明治12年に焼失した。その後太子堂が再建されたのは、39年後の 大正7年である。この再建資金を調達するために活躍したのが「瑞泉寺角力講」である。砺波郡内だけでなく、射水郡・氷見郡などでも広く「太子堂再建寄附相撲」が行なわれた。
  • 相撲興行届
    2015.2.10
    7相撲興行届
    相撲興行届 明治8年(砺波市中野個人蔵) 明治8年(1875)8月12日に中野村の藤井儀兵衛が、県へ相撲興行することを願い出た文書。中野村の藤井儀兵衛が、8月19日か20日、いずれか晴天の日を選んで、中野村八幡社境内で平木嶋や太四郎など30人の力士を雇って相撲をすること…
  • 太孝山清吉
    2015.2.5
    6-4砺波野の相撲の中心地 出町
    三代目九重親方 太孝山清吉(鷹栖 室田与三吉)鷹栖村(現砺波市鷹栖)出身。天保年間に江戸相撲で活躍し、十両筆頭にまで進んだ。「二本松」「清吉」「太孝山」と名を替え、弘化3年(1864)に引退した後、長く中絶していた九重を襲名し、三代目九重武治右衛門となった。 鷹栖(15…
  • 小柳芳太郎(砺波市増山 個人蔵)
    2015.2.5
    6-3砺波野の相撲の中心地 出町
    大相撲のあと、郷里へ帰って地方相撲で長く大関として活躍した 小柳芳太郎(安ヵ川芳太郎)明治11年(1878)7月1日、増山村安ヵ川善太郎二男に生まれる。小さい頃から力が強く、明治30年(1897)に19歳で志を立てて東京大相撲の高砂部屋に入門した。 明治38年には入幕を…
  • (砺波市平成町 個人蔵)
    2015.2.5
    6-3砺波野の相撲の中心地 出町
    行司 扇喜知 文久3年(1863)7月10日、金沢で理右衛門の長男として生まれる。明治20年(1887)、金沢で行われた金沢・加賀・越中合併相撲で行司をつとめているのが当地方の行司としての初見である。東京大相撲で活躍していた鬼ヶ崎・柏木とともに、出町の谷川のもとへ居を移…
  • @昭和天皇即位祝賀仮装行列
    2015.2.5
    6-2砺波野の相撲の中心地 出町
    @昭和天皇即位祝賀仮装行列昭和3年11月10日 (砺波市中央町 個人蔵)前列の女性のハッピの襟に「伊勢の浦」「柏木」などの料亭名(相撲取りの四股名でもある)が染め抜いてあるのがわかる。A市制施行祝賀行事に参加する新町の人々昭和29年4月1日、砺波市は市制をしいた。その祝…