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松村外次郎(まつむらそとじろう)

2013.4.23

日本の彫刻界をリードした大彫刻家

松村外次郎

松村外次郎

笑うと八の字になる濃い眉、窪んだ目が印象的なこの人 誰だか知ってるかい?
松村外次郎という彫刻家です。
松村外次郎は生涯にわたって「彫刻の生命はコンストラクション(構築)である」といい続け、その信念のもと作品作りに励みました。そして、様々な彫刻を世におくりだしました。1933年 33才の外次郎は好きだったという巨匠ブールデル(1861−1929)の作品に学ぶためにパリに留学し、2年余の滞仏の間に彫刻の本質に開眼して、帰国後、爆発的なバイタリティで「神農群像」、「天の川」、「母と子」、「立山縁起」等をはじめとする大作を発表し続けた砺波市が誇る大彫刻家です。

 

外次郎はいつどこで生まれた人?
外次郎パリ時代

外次郎パリ時代

松村外次郎は、1901年(明治34年)今の砺波市庄川町青島(当時は東砺波郡青島村)に生まれました。
・その年の出来事 
 20世紀最初の年 第一回ノーベル賞 足尾鉱毒事件田中正造さん直訴
・その年に生まれた有名人 
 佐藤栄作さん 海音寺潮五郎さん ウォルト・ディズニーさんほか

外次郎の年譜

ふるさと庄川、親子の愛、東洋的な心を忘れずに持ち続け、その時々で感動したことを彫刻で表現した外次郎さんは、いったいどんな人生を歩まれたのか、年譜で振り返りましょう。

年譜
西暦 年齢      略     歴
1901      9月17日 現砺波市庄川町青島に生まれる
1916(15)  県工芸学校(現高岡工芸高)木工科に入学
1920(19)  同校卒業 上京し吉田白嶺(彫刻家)に師事
1923(22)  第10回院展に初入選
1924(23)  東京美術学校(現東京芸大)彫刻科に入学 
1927(26)  第14回ニ科展に初入選 以後17回展まで連続入選
1929(28)  東京美術学校卒業
1931(30)  パリ留学
1933(32)  帰国 第20回ニ科展に出品 二科会会友となる
         以後30回展まで連続出品
1934(33)  第21回二科展に「神農群像」出品 推奨作品となる
1936(35)  二科会会員となる
1944(43)  二科会脱会
1949(48)  富山駅前に共同制作「平和群像」を完成
1951(50)  二紀会に彫刻部を設立 二紀会委員となる 以後連続出品
1954(53)  第1回現代日本美術展に招待出品 以後5回展まで連続出品
1955(54)  第3回日本国際美術展に招待出品 以後5回展まで連続出品
1965(64)  富山県民会館前庭に「こだま」設置
1967(66)  二紀会副理事長に就任
1976(75)  二紀会名誉会員となる 
         箱根彫刻の森美術館に「西行」設置
1978(77)  庄川町保健センター前に「弁財天」設置(1996 美術館前に移設)
1982(81)  富山市松川べり彫刻公園に「元武」設置
1983(82)  庄川町名誉町民に推挙される 
         庄川町に「鳳龍」寄贈(美術館前に設置)
1984(83)  富山県民会館開館20周年記念として
          「松村外次郎回顧展」が開催される
1986(85)  高岡文化ホール正面に「うしお」設置
1987(86)  庄川町へ彫刻34点と絵画11点寄贈「越の川」制作
1988(87)  「ひょうたん」制作
1989(88)  「蓮如」制作(1996 庄川町に寄贈)
         庄川町立松村外次郎記念美術館竣工オープン
(2004年11月、合併により館名を松村外次郎記念庄川美術館に変更)
1990(89)  東京都中野区白鷺の自宅で「北前」の完成間近にして没する 89歳
1991      福野町福野文化創造センター前庭に「北前」設置

外さんのとっておき名言集
蓮如上人吉崎をつくる松村外次郎

蓮如上人吉崎をつくる松村外次郎

今でも「ごきげんよう 外さん!」と、声をかけると、アトリエの彫刻台に向かって黙々と作業をされている外次郎さんが、手を止め、「やあ!よく来たね」といって振り向いてくれそうな気がします。親しみ深い印象のするその大彫刻家は、亡くなる間際まで、大作に取り組み続けていました。そんな外次郎さんが人々に残していった作品は、県内をはじめ全国に点在しており、たくさんの人々に今も大きな感銘を与え続けています。そして、作品以外にも今を生きる私たちへ、彫刻家として、また、人間としてハッとするような、深くてためになるお言葉をたくさん残してくださっていますよ。
いくつかご紹介いたしましょう。

【外さん48歳のことば】
☆感動したことを作品にしよう。

「彫刻というのは、すべて感動の表現だから、よけいな飾り方は不必要で、避けなけりゃいけないよ。」

□平和群像(富山駅前に設置)を制作しているときに板橋一歩氏(彫刻家)に語ったそうです。

【外さん69歳のことば】
☆トレーニングを大事にしよう

「仕事はやはり年期が必要で、これだけが尊い。思いつきで年期は入ってきませんからね。トレーニング、トレーニング。宮本(三郎)先生(洋画家)のトレーニングはすごいですよ。」

□一朝一夕には何事も成し得ない。たとえ才能があろうとも、鍛練は大事。

【外さん72歳のことば】
☆目当てをはっきりさせよう

「人物の作品を制作するのに、手や足の指くらいなくなったっていいんだ。人間の手や足として生命にみなぎっておればよい。換言すればかたまり″の中に作者の意図がみなぎっておればよい。」

□本質が凝縮された感じがする。

【外さん81歳のことば】
☆なっとくできるまで試してみよう

「一つのものを作るのにこのごろは一年かかりますね。試作をいくつも作り十分試みる。題名一つにしてもそう。語源まで探らないと納得できない。」

□じっくり突き詰めることは、自分と対峙することにもつながる。作品を作ることは自分を作ることかも・・・。

【外さん83歳のことば】
☆これからどのように生きたらいいのか尋ねたい

「私は83になった これから先の心境はいかなるものか どういうふうな配慮で生きたらいいか 私は85歳以上の人の心境というものを知りたい。」

□なんと83歳という人生の大先輩が、これからについて熱くみずみずしく問いかけ、語っていらっしゃいます。生きるたしなみをさらに身につけようとされている。これは私たちへのメッセージでもあり、戒めのようにも聞こえる。

☆いまだに自分に関心を持っている

「肉体的に衰えても 精神がしっかりしている人がいる。私自信 どこまで伸びるのかいまだに関心を持っている」

□自分で自分の限界を作ってはならない。自分の可能性を信じ、向上心を持ち続けている外さん。

☆日本的でなきゃいけないよ

「現代的じゃない 古くさいとか 西洋的だからって西洋的にやってはだめ 日本不在です。」

□パリに留学していた外さんは東洋的な美意識や表現を大切にすることに目覚めた。

☆田舎っぺで 大成しよう

「田舎者は田舎者で育ってほしい 批評家が言う前に自分が勉強し 自信を持って現実を理解し 大成していただきたい。」

□田舎者ばんざーい

☆若い人が伸びるには

「お前の彫刻は駄目だと年寄りが若い人を抑えてはだめ おかずの煮返しのように美味かったのが 美味くなくなる。」

□後世畏るべし、いずくんぞ・・・・。