見る ミュージアムスコープ

 

関連タグのフォト

  • MORE

「砺波郷土資料館」の記事

秋の先人展 芹谷山千光寺と法道仙人展

2014.12.20

古刹千光寺を建てた摩訶不思議な仙人のおはなし

芹谷山千光寺とは?

芹谷山千光寺とは?

この秋砺波郷土資料館で開催されました先人展。もう展示は終了してしまいましたが、展示風景の一部をお伝えしようと展示ケースの写真を解説付きで紹介します。
まずは千光寺という砺波の古刹をご存じですか?国道359号線沿いにある大きな看板を見たことのある方は多いはずです。
千光寺は砺波市芹谷にある真言宗のお寺。703年に開かれたというのですから、1300年以上の歴史がある古刹です。
多くの建造物が文化財に指定されていますが、なによりもその荘厳なたたずまいに心を奪われます。

開山法道仙人って?
千光寺に安置されている法道仙人像

千光寺に安置されている法道仙人像

千光寺の開山である法道仙人(ほうどうせんにん)ははるか天竺から雲に乗ってやってきた、摩訶不思議な仙人。仏教を広めようと観音様を背負って雲に乗り天竺を出たのですが、唐を見てもここは!というところがなく、さらに東に進み、百済を見ても気になるところがなく、さらに東に進んだところ、紫の雲がかかる山が見えたので降りてみました。
山を歩いていると童の姿で現れたその山の神が、この地で仏の教えを広めてくれと法道仙人に頼みました。法道仙人はおもむろに歩こうとしましたが、観音さまが急に重くなって歩けなくなりました。よくよく周りを眺めると、山深く、木は生い茂り、清らかな川が流れ、鳥もうたっています。よし、この地に決めようと、法道仙人は、川の淵に生えている金色に輝く芹を口にし、この地との縁を結びました。その地は芹谷と呼ばれ、そこに千光寺を建てて仏の教えを広めました。
これが法道仙人が千光寺を開いたおはなしです

千光寺の観音さま
33年に一度しか御開帳されない秘仏の観音さま

33年に一度しか御開帳されない秘仏の観音さま

法道仙人が天竺から背負ってきて、この地へ導いてくれた、という観音さま。
閻浮檀金(えんぶだんごん)と呼ばれる摩訶不思議な金でできていると言われています。
この観音さまにも不思議なおはなしがあります。
江戸時代、観音さまが金でできていることを知って、ある盗人が観音さまを盗み、逃げました。走って走って山を越え、やっと野に出たところで、盗人は一息つきました。すると、背負っていた観音さまからキラ〜っと一筋の光が射し、天まで届いたと思ったら、観音さまは盗人から離れ、寺の方に飛んで戻ってしまいました。
観音さまの不思議なおはなしのひとつでした。

この観音さまは33年に1度だけ一般公開されます。平成18年に御開帳されたばかりなので、この次にこの観音さまが御開帳されるのは、平成51年、2039年になります。
この観音さま、とても古い特徴のあることから、富山県の文化財に指定されています。

鉢を飛ばす「飛鉢の法(ひはつのほう)」
                 法道くん

                 法道くん

法道仙人は齢800歳。修行を重ねた結果、仙人の中でも上位の仙人なので、法力を使えるのです。その中の一つが鉢を飛ばす「飛鉢の法」(ひはつのほう)。
托鉢(たくはつ)に行かずに鉢を飛ばして食べ物などを寄進してもらいます。
こんなエピソードがあります。
伏木の港あたりで船が年貢を積んで都へ運んでいる途中に、法道仙人の鉢が飛んできて、米を寄進してくれと船頭に言いました。すると船頭は「この米は年貢で、私の米でないから勝手に寄進することはできません」と言って断りました。鉢はちょっとムッとしてどこかに飛んでいってしまいました。すると米俵が次々とその鉢についていって船には米俵が一つも残っていませんでした。これは大変と、
船頭は法道仙人のところへ陳情しに行きました。法道仙人は話を聞くと、鉢に叱り、すべての米俵を船に戻しました。船へ米俵は飛んで戻っていきましたが、1つの米俵が途中下に落ちてしまいました。それにちなんでそこは「米島」と呼ばれるようになりました。今でもそこは高岡市米島という地名が残っています。

  • 千光寺の年表

  • 千光寺の年表

    仏教の蔵書が6000点ともいわれ、学僧が学んだ寺でもありました

  • 仏教の蔵書が6000点ともいわれ、学僧が学んだ寺でもありました

    千光寺縁起_千光寺のはじまりについて書かれた巻物です

所在地
〒939-1382
 富山県砺波市花園町1−78

お問い合わせ

砺波郷土資料館