電気やクーラーがないころの 夏の過ごし方
2019.7.25
どんな民具を使って涼しく過ごしていたのでしょうか?!

工夫をして涼しく
7/23は二十四節気の大暑(たいしょ)、 梅雨もこの頃に明け、これから本格的に暑くなるぞ〜という覚悟をする節目です。
クーラーや電気がない頃はどのようにこの暑い夏を過ごしていたんでしょうか?
昔の人たちはどうやって暑い夏を乗り切っていたのか、どんな民具を使って涼しくしていたのかを紹介します。昔といっても幅は広いので、昭和20年から30年まで、今から60〜70年までまでの話、電気がないわけではないけれど、電化製品が普及する前といった頃を想像していただけるといいと思います。
冷蔵庫がないころ、どうやって食べ物を冷やす?
これは何でしょう? ヒント:井戸の水は冷たいよ〜〜
日本の夏の定番ドリンク、麦茶。
昔は炒った麦を煮出して作っていたので、出来立てはアツアツでした。やかんごと水に付けておいても冷えますが、冷え冷えにはなりませんよね。冷蔵庫がないから氷もない。
となると、どうやって冷やしましょう??
当時の水は井戸から汲み上げます。砺波平野は地下水が低い所を流れるので、井戸も深く10mなんて井戸もあるそうです。そんな地下の水なので、冷たくひんやり。
そこで「麦茶冷やし〜」! アルミでできており、
井戸の桶に結んで沈めて冷やし、つるべで引きあげたそうです。
井戸水を水道として使ってた家では、蛇口からでる水が冷たい井戸水なので、チョロチョロとお水を出してきゅうりやスイカを冷やしたそうです。それこそ天然の冷蔵庫ですね。冬場の雪を貯めておいて使ったこともあったようですが、真夏までは持たなかったようです。
夏の夜の悪夢
昭和の夏の原風景 蚊帳(かや)
夏の天敵といえば、蚊。蚊に悩まされる夜があると思いますが、昔はいまよりも自然豊かでしたので、何倍も蚊やハエが多かったようです
私の小学生ころからマットタイプの蚊取り装置がありましたが、その前は蚊取り線香ですね。明治の中頃からの使われているそうですよ。 その前はというと、調べましたら「蚊遣(かや)り火(び)」というもので蚊を退治していたようです。方法ですが、「よもぎの葉、カヤ(榧)の木、杉や松の青葉などを火にくべて、燻した煙で蚊を追い払う」、とあります。殺虫というよりは蚊を寄せ付けないということですね。この方法は平安時代から大正時代初期頃まで行われていたそうです。
蚊帳(かや) も昭和の夏の風物詩です。
昔の家の部屋の四隅の高いところには蚊帳を吊るためのフック状のものがにあったそうです。使われるのは夏だけですが、和室の標準設備だったようです。
この蚊帳は全世界的にあるもので、古代エジプトの時代から使われていたそうです。英語ではモ
スキート・ネットって言うらしいです。今でも外国の軍隊では野営などで使われるそうです。
蚊帳の中は、蚊のいない空間で安心、と思っていると、知らぬ間に紛れ込んでしまうことがあるようです。そうなると、蚊と人間のバトルが蚊帳の中で始まるわけであります。その時に、パチンパチンと手でたたく以外にどうやって蚊を始末したでしょうか?
今と違って夜は真っ暗。蚊のぷ〜んと飛ぶ音はするけれど、真っ暗で見えません。そこで使うのが「火」。
「星(ほし)の霜(しも) 当世(とうせい)風俗(ふうぞく)」という浮世絵のシリーズの中の「蚊焼(かや)き」は、火のついた紙縒(こより)を手に、真っ暗な蚊帳の中という場面。
虫は明るいところに寄って来る習性がありますので、その火に近づいてきますと!飛んで火にいる夏の虫、ということになります。火で焼け死ぬ、というよりは、火に近づき、その熱でショック死だそうです。蚊を追いかけるのに夢中で、火が蚊帳について燃えちゃったら大変ですが、その辺りは昨日今日、火を扱っている素人ではないので、そんなことにはならないそうです。
周りの人たちに聞いてみたところ、砺波では蚊帳は昭和30年代、遅い人で40年代半ばまで日常的に使われていたようです。網戸が普及したことで、今から50年前には使われなくなったようです。
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国貞画 「星の霜 当世風俗」 『蚊焼き』
- 所在地
- 〒939-1431
砺波市頼成566 砺波民具展示室