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「『五箇山から砺波へ』」の記事

1南砺市城端(その2)

2014.11.6

W城端の織物業

 織物業の始まりは城端水月寺『天満宮縁起』によると大正年間に畑庄左衛門と伝えられる。元禄年間には町の全戸数660余りのうち、機織を家業、または副業として生計を立てる人が実に半数以上に及び非常に盛況にて、加賀藩の重要な物産の一つに数えられてきた。

明治初年には、問屋制家内工業の段階で、生絹問屋(8軒)、仲人(11軒)のもとに、個数千戸の9割がチンカラ機という手織機をもち、織子あるいは賃機で、薄絹を織っていた。仲人は、糸の斡旋、織り方の指導、時には資金を融通し、織られた絹を集めた。仲人から集めた絹は、生絹問屋へ集められ京都の問屋に運送された。

 明治25年頃から、チンカラ機より精巧で高能率な「バッタン機」が導入され、集合織物所で生産された。工場制手工業のはじまりである。この頃には、銀行の設立、中越鉄道の敷設もあり、城端の絹業が発達することになる。明治39年には、城端羽二重の生産がはじまった。

 明治42年 城端織物組合が設立され、織物の規格統一、検査制度の確立、職工賃の制定、共同市場における入札制度を導入した。

明治43年 石油発動機による力織機が導入され、羽二重・絽の生産が始められた。

大正初年には、電動織機、明治43年には水車による撚糸が行なわれるなど、産業革命の到来である。

 大正中期は城端絹織物の黄金期である大正9年には、11社のうち4社が株式会社となった。

 しかし、大正11年夏から訪れた不況と恐慌で操業を停止する工場が目立ち、閉鎖した企業が10数軒に達した。

 昭和初年、絹織りでは、新しい撚糸が導入され、絽・縮緬織が拡大し、羽二重織の技術改良により充実した機業地帯に成長している。

 太平洋戦争前後は原糸不足のため生産が思うようにいかなかったが、朝鮮動乱による特需で人絹・スフとともに羽二重生産は回復し、飛躍的な好況となった。

 昭和30年にナイロン繊維が販売され、人絹・スフの需要が減少したため、合繊織物への転換が進んだ。また経編機(トリコット)への転換もみられた。

 昭和40年以降、高度経済成長の波にのって整備の近代化、企業の集約化、過剰設備の処理など織布業の構造改善事業により、繊維産地としての維持発展に努めた。

 昭和60年代初めには円高による輸出停滞、新規契約の減少期を経て、城端繊維産業がますます縮小化した。昭和60年23企業、平成5年16企業、平成15年11企業となった。

 平成22年には、城端織物工業協同組合加入企業が10企業に減少。絹織物は株式会社松井企業・有限会社吉村絹織の2社のみとなった。

表3 昭和30年以降の城端織物組合生産統計(単位:u)

 合計生産高絹織物生産高 その他生産高その他内訳(多い順) 
昭和30年 5,779,694 1,123,566 4,656,128 人絹
昭和35年 7,655,708 1,256,072 6,399,636 人絹・合繊
昭和40年 10,889,180 1,336,765 9,552,415 合繊・人絹
昭和45年 9,684,072 1,507,066 8,177,006 合繊・人絹
昭和50年 19,304,905 1,781,689 17,523,216 ポリエステル・人絹・ナイロン
昭和55年 20,412,934 1,395,967 19,016,967 ポリエステル・人絹
昭和60年 23,125,470 1,143,798 21,981,672 ポリエステル・人絹
平成 2年 14,076,892 677,423 13,399,469 ポリエステル・人絹
平成 7年 10,648,343 499,631 10,148,712 ポリエステル・人絹
平成12年 10,687,372 150,796 10,536,576 ポリエステル・ナイロン
平成17年 12,480,313 72,672 12,407,641  ポリエステル・ナイロン
・ポリプロピレン
平成21年 8,625,253 59,253 8,566,000  ポリエステル・ナイロン
・ポリプロピレン

X城端の観光・産業スポット

@城端曳山会館・蔵回廊(城端町史館)

 旧野村家の土蔵は、2代目当主が呉服商で財をなして建てた。3代目理兵衛がさらに発展させ、明治30年野村銀行を設立、頭取に就任。明治36年、南砺有数の邸宅をたてた。大正7年砺波銀行と合併し、野村銀行を解散した。4代目理兵衛が昭和25年邸宅を解体処分した。

 現在、曳山会館(昭和57年完成)では重要無形民俗文化財である城端曳山祭の曳山・庵屋台・傘鉾などの展示、蔵回廊(平成5年オープン)では蔵の構造公開や城端に関する資料を展示し、土蔵群の狭い裏通りで、土蔵を背景に曳山が曳行される様子は魅力的である。

A城端伝統芸能会館・じょうはな座

 平成17年完成、町屋の様式や芝居小屋の意匠を取り入れた多目的ホール。むぎや踊りや庵歌の定期公演や公開練習が行なわれている。

Bじょうはな織館

 平成12年 旧城端織物組合本館が登録有形文化財に指定され、平成15年「織館」として一般に公開されている。

C南砺市企業家支援センター

・知能システム セラピーロボット「パロ」事務所
・ピーエーワークス梶@「true tears」城端を舞台にした青春恋愛アニメ制作。
 平成22年1月「true tears」が公開されると聖地城端へ多くのファンが訪れた。
 平成25年4月28日、範囲を南砺市に広げ、同社スタッフによりオリジナル・ショートアニメーション「恋旅〜True Tours Nanto〜」が南砺市地区限定エリアで放送・配信が始まった。ワンセグ機能付携帯・またはカーナビ、市内主要地域で専用アプリから視聴できる。利賀・福野編、井波・平・上平編、福光・井口・城端編からなる。関東や九州からも熱心なファンが訪れている。

D善徳寺

 本堂・山門・鐘楼・勅使門・経堂・太鼓堂などがある。

E城端曳山祭(重要無形民俗文化財)

5月4・5日  神輿・獅子舞・剣鉾・傘鉾・庵屋台・曳山の巡行は圧巻。
曳山は享保年間からつくられ、いくたびか改修されている。

F城端むぎや祭(敬老の日直前の土・日曜日)

 善徳寺境内、じょうはな座、小京都の風情ただよう坂や特設ステージで、各町内や特別出演団体が五箇山民謡を演ずる。

G縄が池のミズバショウ群落

 海抜800m、周囲2kmの堰止め湖で、標高800mくらいでは、南限となるミズバショウ郡生地。周囲にはブナの群生林なども残されている。

H桜が池公園

 灌漑用水を貯水する人造湖。公園、宿泊施設、クライミングセンター、農産品直売所などがある。平成12年桜が池クアガーデンが東海北陸自動車道の城端サービスエリアと一体となった温泉施設として完成している。

 以下のように城端に観光スポットが多く存在する。現在、2015年春の北陸新幹線開業に向け南砺市が一体となって、井波の推薦時・世界遺産の相倉・菅沼合掌集落・福光の棟方志功記念館「愛染苑」、各地の祭礼などを有機的に結びつけ積極的に誘客に努めている。


【第56回歴史地理学会大会実行委員会 砺波市立砺波散村地域研究所 巡検資料『五箇山から砺波へ』2013年より抜粋】