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増山城の歴史つながり。 2014.3.24
佐々成政の時代について、長野県から問い合わせが!

佐々源六の画像がなかったので、、、こちらは佐々成政。

砺波市が誇る富山三大山城の増山城跡について、長野県飯網町の教育委員会から問い合わせがありました。

増山城といえば長い歴史の中で、上杉謙信が統治していた時代に織田派の佐々成政が攻め落したという記録が残っています。

その佐々成政が統治していた時に、成政の馬廻り衆などいろんな人物が増山城に置かれたのですが。。。
その中の一人に、佐々源六(佐久間勝之)という人物がおります。今回の問い合わせは、この人物についてでした。

佐々源六(佐久間勝之)とは、織田氏の家臣の息子として生まれ、その後佐々成政の娘婿になったと言われています。
そして飯綱町は源六(勝之)が領有した長沼播の領地でした。
勝之居城の長沼城は洪水で跡を留めない幻の城といわれてきましたが、長沼歴史研究会によって古記録が再発見され、近年になって具体的に城の姿が解明されてきたそうです。

飯網町ではこの度、その報告集が出版されることになり、佐々源六(佐久間勝之)の経歴を調べているのだそうですよ。

砺波市に問い合わせのあった内容とは、”源六(勝之)が増山城に置かれたという記録はどの参考書に載っているのか”ということ。

よし、任せてください!とばかりに、張り切って増山城関係の参考書を手当たり次第探しました!
しかし・・・もともと源六(勝之)についての資料は少ないらしく、、、、
増山城について書いてある分厚い参考書を何冊も見ましたが、佐々成政が統治したということしか書いてないんですよね。。

そして見つけましたよ〜この一冊にチラッと書いてあるのを!!
「増山城跡調査報告書−よみがえる戦国の山城と城下町−」
それによると、『寛永諸家系図伝』に源六(勝之)が増山城に置かれていたことが書いてあるそうです。こちらは国立公文書館に保管してあるそうですが、写本もいくつかあり、日本全国の大学や博物館などにあるみたいです。

飯網町では、2015年に佐久間勝之入城400年にあたるので盛り上がりをみせているそうです^^
ぜひ増山城訪問を実現したいというお言葉も頂きましたよ♪
歴史のつながりをきっかけに、お互いの市の関係が深まるといいですね!

マツシマでした。

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