昭和40年代に廃業した砺波地方の某酒造場。そこには大正11年から太平洋戦争末期の昭和18年までの酒造記録が残っている。酒造高は千石前後。まず戦前の砺波地方では中堅どころである。記録の年代は第一世界大戦の好景気が終わって昭和初年の世界恐慌、特に農村の不景気を経て、やや立ち直りかけたところから日中戦争、そして太平洋戦争へ入っていく時期にあたり、それが造石数に端的に現れている。砺波地方の酒造界の代表例として紹介したい。この蔵元は明治元年の創業で、明治37年度富山県清酒製成高表(『県史史料編Y』797頁)によると537石余で県内の上位20位以内に入っている。
酒造の年度は毎年10月に始まり翌年9月に終わる。例えば「昭和10酒造年度」というと昭和10年10月に始まり翌11年9月までである。しかし、これでは一般の1年と感覚的に合わないので、ここでは一般の暦年で表すことにする。毎年酒造年度の始まる直前の9月末になると、翌年度の「酒類製造見込石数」を税務署へ申告する。さらに翌年1月になると「酒類製造見込石数更定申告」をだしてその年度の酒造高を更定している。ここではその更定高を年度別に整理して表4を作成した(一部史料を欠く都市は見込石高によった)。記録の始まる大正11年(1922)は第一次世界大戦の好景気も去り、米騒動の大正7年から続いた米価の高騰も鎮静した年である。この年は1267石、翌大正12年(1923)は1117石と千石台が続いている。ところが大正13年は482石と半減している。これは12年の暮れから13年1月へかけて仕込んだ分が大量に腐敗したためである。この年の分が109石、それに前年度の古酒が95石、計204石が腐敗している。そのため当初の見込石数の申告が1262石であったものを途中で仕込みを止めたのである。なおこの前年、大正12年9月には関東大震災が起こっている。昭和10年の移出高報告では東京市へ131石の出荷をしている。もし大正期にも東京行きがあったとすると、これへの対処もあったと思われる。大正14年(1925)、15年(昭和元年)は千石台へ戻っている。ところが昭和2年(1927)は836石と、急に少なくなっている。これは当家の事情による。すなわち、前年の11月に当主(父)がなくなり、四十九日忌もすまぬ翌12月にはその父(祖父)が亡くなったからである。翌年にはされに386石減じている。
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