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1−2初代 佐藤助九郎 2015.1.30
報恩の人 助九郎

初代助九郎(個人蔵)

 明治32年8月12日、富山市の大火で、市内総曲輪にあった浄土真宗本願寺派の富山別院は焼失してしまった。当時、同別院では綽如上人四百回忌法要という重要な行事を2ヶ月後に控えていたが、それまでに寺院を再建することはとうてい無理だと思われた。

 助九郎はこれを知り、独力で再建を決意し、1ヶ月あまりで完工させた。四百回忌法要は西本願寺明如上人により無事執り行われたが、助九郎はさらに工事代金の全額寄進を本願寺に申し出た。本願寺はその篤志に感謝し、翌年、明如上人の跡を継いだ鏡如上人が柳瀬村の助九郎邸を訪ねて、親しく謝意を表した。その折り、何か望むものはないかと訪ねられた助九郎は「別院で朝夕の勤行の際に灯す燈明の燃え残りをいただきたい」と申し出た。村人とともに寺で灯し、報恩感謝の気持ちを忘れないようにしたいという。これに感じ入った上人は、自らの羽織を脱いで助九郎に与えた。


(『110年のあゆみ』)

再建された浄土真宗本願寺富山別院

 建設中の笹津橋初代助九郎は、明治32年8月の富山大火で焼失した富山別院を再建した。

その工事代金を全額本願寺へ寄進すると申し出たことから本願寺22世の鏡如上人が柳瀬のの佐藤邸を訪れ、謝意を表し「下り藤」定紋付羽織を助九郎に与えた。(のちに二代助九郎はこの「下り藤」に佐藤の「佐」を配した組の紋章を制定した。)

建設中の笹津橋

 初代助九郎が私財を投じて建設した木造橋。架設後は「賃取橋」(通行人に渡し賃を負担してもらう橋)として使用することが県から許可された。のちの昭和8年10月、有志により「佐藤翁碑」が建てられ、現在も「佐藤記念公園」として付近住民の憩いの場となっている。


【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋】

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