明治32年8月12日、富山市の大火で、市内総曲輪にあった浄土真宗本願寺派の富山別院は焼失してしまった。当時、同別院では綽如上人四百回忌法要という重要な行事を2ヶ月後に控えていたが、それまでに寺院を再建することはとうてい無理だと思われた。
助九郎はこれを知り、独力で再建を決意し、1ヶ月あまりで完工させた。四百回忌法要は西本願寺明如上人により無事執り行われたが、助九郎はさらに工事代金の全額寄進を本願寺に申し出た。本願寺はその篤志に感謝し、翌年、明如上人の跡を継いだ鏡如上人が柳瀬村の助九郎邸を訪ねて、親しく謝意を表した。その折り、何か望むものはないかと訪ねられた助九郎は「別院で朝夕の勤行の際に灯す燈明の燃え残りをいただきたい」と申し出た。村人とともに寺で灯し、報恩感謝の気持ちを忘れないようにしたいという。これに感じ入った上人は、自らの羽織を脱いで助九郎に与えた。
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