九郎が生まれ育った東開発村は、庄川中流左岸に位置し、古くから洪水と闘った歴史を持つ村である。
庄川の洪水は、江戸時代は記録に残るだけでも139回あり(『近世砺波平野の開発と散村の展開』)、そのほとんどが柳瀬・開発村に関係している。明治以降もその状況に大した変化もなく、明治元年から最後の洪水といわれる昭和23年までの間では38回を数える。とりわけ、明治10・17・27・29・32年の洪水被害は莫大なものであった。
具体的には、明治10年4月27日の庄川の洪水で、東開発村では堤防700間が破壊された。そのため、村では田地1町7反を残し、田23町7反が荒地となった。
明治28年と29年の洪水に際しても、村では荒地免租(荒地となったため年貢を免除すること)を願い出ている。明治32年の記録には荒地35町8反、生田1町3反と記されており、村の「土地台帳」からも、荒地免租願いと荒地復旧を繰り返しながら尊人が苦労したことがわかる。
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