常願寺川安政5年(1858)の鳶山一帯の大崩落後、河床が急激に上昇し、大雨のたびに洪水をひき起こしていた。なかでも明治24年(1891)7月の出水によって悲惨さは極に達した。それに対処するため、県では内務省雇技師オランダ人ヨハネス・デ・レイケの指導に基づいて改修を行なうこととした。
工事は明治24年12月に開始された。工区は上流から下流まで5方面に区分され、それぞれの方向には監督・指導する県の技手数人が配置された。夏期は6千人から7千人、冬期は1万人を動員し、おそらく、県内で初めて導入された軽便レールやトロッコ、鉄製の機械などが使用された。工事施行中も、何度も大水で堤防が崩壊したり、流失するなど難工事であったが、明治26年3月、ほぼ計画どおりの期間で完成した。
この工事を請負ったのが佐藤助九郎ひきいる佐藤組である。この工事を成功されたことがその後の佐藤組躍進の基礎となった。
2015.1.3010佐藤組を支えた手代たち−各組のハッピ−
2015.1.309電力工事
2015.1.308−4鉄道工事
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