1945年(昭和20)8月15日、子供たちの多くは「玉音放送」を知らなかった。たまたま砺波地方の青年学校の男子生徒たちは、少年志願兵の試験先である、福野小学校の校庭で敗戦の玉音放送を聞かされた。数日後、各学校に児童、生徒が召集された。そして、校長が終戦の詔書を奉読し、戦争に敗れたことを正式に伝えた。この日から教育界は混乱におちいったが、学校は一日もやすむことなく続けられた。軍政部から、国民学校で学習されている修身、国史、地理などの教化の学習停止命令が出された。国語においても、皇室、神社、軍事教材はすべてけずられ、いわゆる「すみぬり教科書」が用いられた。5年生の『よみかた』では「海軍のにいさん」「にいさんの入営」「支那の子ども」などが全文削除になり、全体の3分の1がすみぬりで読めなくなった。
また、「奉安殿」がこわされ「御真影」も返され、講堂の神棚もおろされた。そのほか、軍事関係書類、青年学校使用武道用具も焼却せねばならなかった。各学校へ進駐軍の巡視があった。旧領土が日本国の色でぬられた地図や愛国行進曲のレコードを発見すると、すぐ「ファイヤー」「ファイヤー」と叫んで焼却を命じた。東野尻小学校では苗加神社が学校と近接しており、このことは国家神道と結びつくので柵をもうけるように警告した。しかし、このような軍国主義的教育の払しょくの嵐がふきぬけるさなか、やがて子供たちは起伏のあるグランドで、縄であんだ即席のバックネットをはり、「ストライク」「アウト」と英語を使った野球を楽しむ声も聞こえるようになった。
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