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利波臣志留志 2023.6.16
奈良時代の砺波の偉人

生没年不明

 聖武天皇は743年(天平15年)10月15日の詔により、全国に対して東大寺盧舎那仏(奈良の大仏)に必要となる造営費と役務の提供を求めました。そして747年(天平19年)9月から大仏の造営が始まり、当時は越中国の無位であった利波臣志留志は米3,000碩(石)(約180トン)を献上しました。それにより銭1,000貫を献上した河俣連人麻呂とともに外従五位下の位を授けられました。
なお、743年には墾田永年私財法が制定されています。

 747年から20年後の767年(神護景雲元年)、志留志は越中員外介(今の副知事)となり、東大寺に墾田地百を寄進し、その功績によって外従五位上に昇叙されました。員外介とは、律令の定員外となる役職です。
 当時の東大寺領荘園を描いた墾田地図「越中国東大寺墾田図并野地図」は同年作られたもので、志留志は墾田の検校の専当国司として署名しています。

 779年(宝亀10年)志留志は伊賀守(現在の三重県知事)に任命されます。
 志留志が「続日本紀」に記載されるのは同年が最後となります。

砺波市の荘園推定地

砺波郡には石粟荘、伊加流伎荘、井山荘、杵名蛭荘という4つの東大寺の荘園がありました。
 石粟荘は757年(天平宝字元年)に成立しました。元は橘奈良麻呂の私有地でしたが、奈良麻呂の変で朝廷に没収されたのちに東大寺に施入されます。
伊加流伎荘は749年(天平勝宝元年)に占定し、井山荘は759年(天平宝字3年)〜767年(神護景雲元年)までに成立しました。
 以下の遺跡からは荘園があった痕跡が見つかっています。




般若野の埋蔵文化財包蔵地

久泉遺跡大溝跡
 砺波市久泉
 →久泉遺跡では奈良時代から平安時代にかけての建物跡と大溝が見つかりました。大溝は幅6〜10mで2kmに渡る用水路があったと考えられます。

徳万頼成遺跡の水田跡
 砺波市頼成、徳万
 →徳万頼成遺跡では平安時代の水田跡が見つかりました。石は畦と水路を固めるために敷かれ、水田面には人や牛の足跡が見つかりました。そのことから、牛を使った稲作が行われていたことがわかります。

<参考文献>

『砺波市史資料編1 考古、古代・中世』
        砺波市発行
『続日本紀』

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