1瑞泉寺の成立と盛衰
砺波平野の南東部に南北朝期に開闢し600有余年の歴史がある真宗大谷派井波別院瑞泉寺がある。
現在も同寺の門前には街並みが連なる。
本願寺5代綽如が1390年(明徳元年)に「図らずも一つの勝地を得た。ここを井波と称す。山が深く俗縁から離れ 里からも遠く人事まれなり」云々と四至のもとに時基を井波に定めた勧進状(国重文)をしたためる。
やがて、近くの東大寺の荘園高瀬庄へも一向宗の勢力が拡大する。1429(正長2年)には東大寺学侶方の高瀬荘地頭は、一向宗徒が地下人と結託して年貢米納入を拒否し土一揆を企てたと東大寺文書にある。
その後、本願寺8代蓮如は越前の吉崎に拠点を構え、北陸に布教活動を進める。
加賀では二俣(金沢市)に本泉寺を、越中には井波瑞泉寺に2男蓮乗を配置し布教基地とした。1475(文明7年)に蓮如は井波瑞泉寺も訪れた。間もなく瑞泉寺は地元武士団との抗争に打ち勝ち、次第に勢力を郡内外に拡大し、寺域を城郭に構え、門前は寺内町として発展していった。
戦国武将佐々成政の攻略を受けた瑞泉寺は戦禍で炎上し、北野(現南砺市北野)に退転した。1585年(天正12年)閏8月、秀吉は三か条の禁制で瑞泉寺を保護した。
加賀や能登、そして越中が前田家の支配下に入ると、瑞泉寺は1613年(慶長18年)に現在地に寺地を拝領して堂宇を再建する。町屋も復旧して現在の門前町としての携帯をとるようになった。(注1)
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