牛嶽車道開通記念碑(うしだけしゃどうかいつうきねんひ)
平成6年5月30日・市指定
砺波市庄川町金屋
この記念碑は、明治23年(1890)9月13日、「牛嶽車道」全線の開通を祝い、牛嶽運送株式会社が建立しました。
牛嶽車道は、牛嶽麓の利賀谷高沼から金屋まで、石灰を輸送するため、地元有志が私設した新道で、15年間、賃取り償却が許可される賃取り道でした。
牛嶽南側一帯の山地、高沼から旧婦負郡山田村深道近辺は、通称石灰山と言われ、藩政期末から比較的大規模な石灰岩の鉱床として知られていました。
しかし、山深く道が狭いため、採掘後の輸送には、人の背に頼るほかありませんでした。ところが明治期、稲作の肥料として石灰の需要が増大し、荷車による搬送可能な道路が必要となり「牛嶽車道」が実現したのです。
自然石(凝灰岩)に刻まれた碑文は、真宗大谷派の僧であった金沢市の北方蒙(号心泉)の句と揮毫です。
心泉は明治期、布教僧として幾度となく中国へ赴き、法務の傍ら金石学を研究し、我が国に北魏の書風を伝えた最も初期の書家で、碑面(高さ約2.5m、幅約1.7m)には、
「山を塹(ほ)り谷を堙(ふさ)ぐ牛嶽か、平五箇(ごか)に多く産す 来たり貿(あきな)いて便を得、中越の富 源泉竭(つき)ず」
と刻まれています。
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