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5苗加(のおか)その2 2016.2.19
1苗加(のおか)

1 鹿尾島(しかおじま)

   東は出町・五鹿屋に接し、南は猿留島、北は川合島に接する所。五鹿屋地区鹿の島部落の下流地帯、鹿の尾の部位に当たるをもって称せらる。
  ・ガラクボ(瓦礫多い窪地) 野村二三 耕作地(新)25
  ・クボタン(窪段)        〃    (新)24〜25
  ・ガラタ 川辺庄作 耕作地 (新)286〜288
  ・タカダン(高段) (新)391
  ・シカヅカ(鹿塚) (新)177番地、現地に碑あり由来も刻まれている。往古この地に鹿が幣を咥え来て斃れたので付近の人は大事に葬って塚を建てた。これが苗加村の名称の起源なりと当地近隣の人々に伝えられていた。この塚を勝手に移動した人には災いがあり、元通りに戻したところ、良くなったといわれている。
  ・サンノウドウ(山王堂) (新)176〜178の西側各一部。明治21年現苗加神社に合祀まであった。跡地は近隣に払下げ、昭和18〜19年頃までにほとんど耕地となり区画整理時に一部の残りも総て耕地となる。 山王社、本社は近江滋賀郡坂本村(比叡山山麓)より村開祖が招聘したといわれている。祭礼には草競馬や相撲、踊りが催されいた。地積は309坪と宮田圃1反19歩(当時の1反は480坪)で、神主尚順が管理していたが、明治19年の台風で社殿は潰れ、樹木は多く倒れた。これを機に神明、八幡社とが合祀されることになった。祭礼の期日も合祀以前の各社の日取りで年3回執り行われたが、現在は少し変わった。昭和20年頃まで学校児童が兎狩り等と称してスンズラの乗ってここを課外活動としていた。当時は大きな杉・松・藤等が茂って、広い穴場のような所は往時相撲場跡であった。
  ・ミヤノマエ(宮の前) 野村伸郎 耕作し呼称 (新)175
  ・ツチダクボ(土田窪)  〃 (新)30〜32
  ・ガラ 〃 (新)27〜28
  ・マエノクボタ(前の窪田) 〃 (新)145〜146
  ・テンジンダ(天神田) 広島眞郎 耕作し呼称 (新)134
  ・オゼマチ(大勢待) 〃 (新)131
  ・シタダン(下段) 〃 (新)131
  ・ヒヨモンヅクリ 〃 (新)135
  ・ヨコイノシタ(横井の下) 森田外和 耕作し呼称 (新)26
  ・ヒガシダ(東田) 〃 (新)18
  ・ヤブタ(薮田) 〃 (新)152
  ・ヨコイノウエ(横井の上) 野村吉和 耕作し呼称 (新)19〜20
  ・マンタロウ(万太郎) 〃 (新)19〜20
  ・クボダン(窪段) 〃 (新)24〜25
  ・ガラクボ 〃 (新)25
  ・ニシダ(西田) 〃 (新)156
  ・マエクボ(前窪) 〃 (新)24〜25
  ・マエノタ(前の田) 〃 (新)21〜22
  ・ゴシモンヤシキダ(五四郎邸田) 野村隆 耕作し呼称 (新)3173
  ・サンマイダ(三枚田) 〃 (新)3173
  ・クラノヒガシ(倉の東) 〃 (新)340
  ・シカクダ(四格田) 〃 (新)350
  ・イチオオタ(一大田) 〃 (新)382
  ・オモテタンボ(表田圃) 水木茂 耕地の呼称 (65)
  ・センロシタナガタ(線路下長田) 川辺庄作 耕地の呼称 (新)288
  ・ガラタ 〃 (新)286
  ・デトノタ(出戸の田) 〃 (旧)286
  ・ウマヤセド(馬屋背戸) 〃 (新)286
  ・ノシロダ(苗代田) 〃 〃
  ・フルノシロダ(古苗代田) 〃 〃
  ・ホシバダ(乾場田) 〃 〃
  ・ハオヤキ(灰焼) 川辺庄作 耕作地の呼称 (新)288
  ・クボナガタ(窪長田) 〃 〃
  ・ニシジマミナクチ(西島水口) 〃 〃
  ・ナガタジンダ(長田甚田) 〃 〃
  ・ムコウジマサンカク(向島三角) 〃 (新)289
  ・クボダン(窪段) 〃 〃
  ・ウメダシリノタ(梅田尻の田) 〃 〃
  ・ナガタ(長田) 〃 〃
  ・クボジリノタ(窪尻の田) 〃 (新)290
  ・ニシシマオオタ(西島大田) 〃 〃
  ・ニヘイヅクリ(仁平作り) 川辺昭三 耕作地の呼称 (新)359
  ・カジョンサヅクリ 〃 (新)354
  ・ヒョウタロサマエヅクリ(兵太郎さ前作り) 水木めよ 耕地の呼称 (新)360
  ・ヒョウタロサノセト(兵太郎さ背戸) 〃 (新)353
  ・タカダン(高段) 福島信子 耕作地の呼称 (新)391
  ・カジョンサヅクリ 〃 (新)393
  ・マゴメ(馬込) 〃 (新)398
  ・ゴマイダ(五枚田) 〃 (新)361
  ・ヨンサヅクリ(伊与んさ) 〃 (新)364
  ・グンタロヅクリ(軍太郎) 〃 (新)366
  ・マタベヅクリ(又兵衛) 〃 (新)455


 2 川合島(かわいじま)

   東及び北は出町地区、鷹栖地区、南及び西は鹿尾島、吉野に接する位置にある。名k村用水、神島用水、鷹栖江の間に挟まれているところから称せられる。

  ・カギダ(鍵田) 水木洋介 耕作地の呼称 (新)251〜252
  ・ヤシキダ(屋敷田) 〃 (新)253
  ・カキノキノシタ(柿の木の下) 〃 (新)256〜257
  ・アサノタ(麻の田) 水木忠明 耕地の呼称 (新)279
  ・ノシロノタ(苗代の田) 〃 (新)279
  ・クリノキシタ(栗の木下) 〃 〃
  ・カワヒガシノミナクチ(川東の水口) 〃 〃
  ・ヤシキダ(屋敷田、三次ヱ門) 〃 〃
  ・イチマイダ(一枚田) 〃 〃
  ・サンジエモンノミナクチ(三次ヱ門の水口) 〃 〃
  ・ウノタ 〃 (新)278
  ・スイシャノタ(水車の田) 〃 〃
  ・ヒガシジマノタ(東島の田) 〃 〃
  ・ガラノミナクチ 〃 〃
  ・クボノタ 〃 〃
  ・ゴンタロウノタ(権太郎の田) 〃 (新)276
  ・ウラノオオタ(裏の大田) 〃 〃
  ・ワカサノクボノタ(若狭の窪の田) 〃 〃
  ・ニマイダ(二枚田) 〃 〃
  ・トビノタ(飛の田) 〃 (新)275
  ・チョウザエモン(長左ヱ門) 〃 〃
  ・ガラノタ 〃 〃
  ・モンザサヅクリ(門左さ作り) 水木昌雄 耕作地呼称 (新)313
  ・ガラダ 〃 (新)318
  ・ウワダン(上段) 〃 (新)317
  ・シタダン(下段) 〃 (新)325
  ・ウラダ(裏田) 〃 (新)314


 3 吉野島(よしのじま)

   北は鷹栖・川合島、東は猿留島、西は八幡島に接する位置にあり、由来は雄神川支流葭葦茂れるの地を葭の島と称されおり、明治8年地租改正後吉野島の変改す。
  ・ソウザエモンヅクリ(宗左ヱ門作り) 牧田亨 耕作地の呼称 (新)433
  ・ミスマダ(三角田) 〃 (新)466
  ・ンマワタリ(馬渡り) 〃 (新)437
  ・マタベエヅクリ(又兵ヱ作り) 〃 (新)442
  ・マタベエヤシキダ(又兵ヱ屋敷田) 〃 〃
  ・ナシノキノシタ(梨の木の下) 〃 (新)436
  ・ウラノオオタ(裏の大田) 〃 〃
  ・イチエモンクボ(市ヱ門窪) 〃 〃
  ・ハチロベダ(八郎兵ヱ田) 〃 (新)459
  ・サエモンヅクリ(左ヱ門作り) 〃 〃
  ・カニノアナ(蟹の穴) 〃 (新)455〜456
  ・ウベエヅクリ(宇兵ヱ作り) 〃 (新)445
  ・デミチノシタ(出道の下) 〃 (新)436
  ・ヤノサクヅクリ(弥の作作り) 〃 (新)444
  ・ヤブノシタ(藪の下) 〃 (新)460
  ・ヘエモンボン(兵ヱ門盆) 〃 (新)436
  ・ヤナギジマヒキジ(柳島引地) 三部俊明 耕作地の呼称 460
  ・ガラダ 〃 〃
  ・ミズタテミチ(水立道) 〃 457
  ・サンカクダ(三角田) 〃 458
  ・ニバタ(荷場田) 〃 496
  ・ハヤシダ(林田) 〃 497
  ・カギダ(鍵田) 〃 〃
  ・ヤシキダ(屋敷田) 〃 〃
  ・クラヤシキ(蔵屋敷) 〃 〃
  ・ツボジリ(坪尻) 〃 499
  ・ナガタ(長田) 〃 499〜496
  ・ガメヌマ(がめ沼) 〃 499〜497
  ・ダゴジマエノウエ(団子島江の上) 〃 (新)456
  ・ダゴジマエノシタ(団子島江の下) 〃 〃
  ・ヒガシカギダ(東鍵田) 〃 (新)506
  ・ハシバコダ(箸箱田) 〃 〃
  ・ニシカギダ(西鍵田) 〃 (新)505
  ・オオゼマツ(大勢待) 〃 (新)507
  ・ナカブサダ(中ぶさ田) 永田俊満 耕作地の呼称 (新)511
  ・ヒラキ(開き) 〃 (新)519
  ・ゼンブクロダ(銭袋田) 〃 (新)493
  ・ツボタ(坪田) 〃 (新)491−1
  ・ガラタ 〃 (新)512
  ・ナガブチ(長淵) 〃 (新)613〜614
  ・マタベヅクリ(又兵衛作り) 永田強 耕作地の呼称 (新)456
  ・サンニョモンヅクリ(三右ヱ門作り) 〃 〃
  ・ヨンコダ 〃 (新)498
  ・ヒラキ(開き) 〃 〃
  ・ナカオサ(中尾) 〃 (新)503
  ・ナガタ(長田) 〃 (新)504
  ・ガメヌマ(がめ沼) 〃 〃
  ・ヨソスケ(与三助) 〃 (新)505
  ・ヨツヤヅクリ(四ツ谷作り) 〃 〃
  ・ナガブチ(長淵) 〃 (新)616
  ・マツザエモンヅクリ(松左ヱ門作り) 〃 (新)642
  ・ジャリタ(砂利田) 〃 〃
  ・ロクベエモンヅクリ(六兵衛作り) 〃 〃
  ・ハシバコ(箸箱) 〃 〃
  ・カンベエヅクリ(勘兵ヱ作り) 〃 (新)644
  ・ヒラキ(開き) 〃 〃
  ・ウベエヅクリ(宇兵衛) 牧田、中島、若狭仲間 (新)445〜446〜447〜448
  ・ヤナギシマヅクリ(柳島) 永井加次夫 耕作 (新)442
  ・マタベエヅクリ(又兵衛) 〃 (新)442〜444
  ・モンベエヅクリ(紋兵衛) 〃 〃
  ・ナカフサダ(中房田) 〃 (新)505〜511
  ・キタバダ(北場田) 〃 (新)511
  ・ノシロダ(苗代田) 〃 (新)506
  ・ミチノシタ(道の下) 〃 (新)506〜507
  ・ミチノシタノシタ(道の下の下) 〃 (新)507
  ・ヤブシタ(薮下) 〃 (新)507
  ・ヤブシタノシタ(薮下の下) 〃 (新)507〜508
  ・イワマツヅクリ(岩松作) 〃 (新)511
  ・オオゼマツ(大勢待) 〃 (新)509
  ・フルヤシキ(古屋敷) 〃 (新)508
  ・オオタ(大田) 〃 (新)508〜509
  ・タカカケダ(高掛田) 〃 〃
  ・サンカクダ(三角田) 〃 (新)511
  ・ナガタ(長田) 〃 (新)508〜509
  ・ヒキツダ(引津田) 〃 (新)508〜509
  ・ヌマダ(沼田) 〃 (新)624
  ・ボンガラ 永田勉 耕作田の呼称 (新)520
  ・ウラタンボ(裏田圃) 水木弘 耕作地の呼称 (新)350
  ・コシメグラ 〃 (新)553

   

4 猿留島(さるとめじま)
   現在は道の上(県道)集落と表の島と浦の島集落の一部で、西は八幡島、北は鹿尾島、北西は吉野島、東は野村島の東島との間に位置する。由来は猿留島にかつて存在せし山王社頭に鹿に駕せる猿の御幣をかつぐ者の夢を見たということから称したといわれる
(東野尻村史)。
  ・ヤシキダ(屋敷田) 野村清治 耕地の呼称 (新)552
  ・サカイタンボ(堺田圃) 〃 (新)559
  ・サクゾマエタンボ(作蔵前) 〃 (新)579
  ・サイチロヨコタンボ(才一郎) 〃 (新)599〜602
  ・ツボタ(壷田) 川辺俊雄 耕地の呼称 (新)813
  ・クワノキ(桑の木) 〃 (新)808
  ・ツカダ(塚田) 野村悌造 耕作地の呼称 (新)162
  ・ジョウカイ(上界) 〃 〃
  ・トウヨモンヅクリ(藤右ヱ門) 〃 (新)161
  ・オオゼマツ(大勢待) 〃 (新)169
  ・ヘイザブロウヅクリ(兵三郎) 〃 (新)160
  ・シロベエヅクリ(四郎平) 〃 〃
  ・ヨソキチヅクリ(与三吉) 〃 (新)159
  ・ガラダ 〃 (新)165
  ・ゴンシロヅクリ(権四郎) 〃 (新)160
  ・シロエモンヤシキアト(四郎右衛門屋敷跡) 水木栄一 耕地の呼称 (新)408
  ・ゴヒクボ 〃 (新)401〜399
  ・ハサバ(稲架場) 牧野勇 耕作地呼称 (新)576
  ・ガラ 〃 (新)559
  ・モヘイヅクリ(茂平) 〃 (新)560
  ・クボタニ(窪谷) 〃 〃
  ・ショウタロウヅクリ(庄太郎) 〃 (新)579
  ・カワヒガシ(川東) 〃 (新)552
  ・シタダン(下段) 〃 〃
  ・ユウスケヅクリ(祐之) 〃 (新)796
  ・オモテタンボ(表田圃) 〃 (新)826
  ・ナカシマヅクリ(中島) 〃 (新)895


 5 寺田島(てらだじま)

   東は猿留島、西は八幡島を宮川で境とし、西北は鷹栖と接する。由来は萬福寺を含め北西一帯及び寺の付近を称す。
  ・サンマイガケ(三枚がけ) 犀川外世治 耕地の呼称 (新)668
  ・シケダ 〃 (新)668
  ・ホソク(細く) 〃 (新)693
  ・エゾイ(江沿) 〃 (新)688
  ・キシダ(岸田) 〃 (新)693
  ・マタイモンダ(又ヱ門) 〃 (新)693
  ・ニヘンガワラ(二辺川原) 〃 (新)696
  ・ウメダクボ(梅田窪) 〃 (新)693
  ・ノコギリダ(鋸田) 〃 (新)694
  ・イチロエモンタ(市郎ヱ門田) 〃 (新)693
  ・カラムシダ 〃 (新)693
  ・ゼンブクロ(銭袋) 澤田一郎 耕作地の呼称 (新)741
  ・サンカクダ(三角田) 〃 〃
  ・ウランカタ(裏方) 〃 (新)740
  ・ヤブノシタ(藪の下) 犀川寮明 耕作地の呼称 (新)726
  ・ゼンゾウダ(善三田) 〃 〃
  ・モチダ(餅田) 〃 〃
  ・ゴタンジマ(五反島) 〃 〃
  ・タケジロサノウエ(竹次郎) 〃 〃
  ・ワヨモンシキチ(和右ヱ門敷地) 〃 〃
  ・ハカウシロ(墓後) 〃 〃
  ・キュウシチヤシキ(久七屋敷) 〃 〃
  ・チョウベヤシキ(長兵ヱ屋敷) 〃 (新)715
  ・クボタ(窪田) 〃 (新)725
  ・ウラノタ(裏の田) 〃 (新)725
  ・イチョウノシタ(銀杏の下) 〃 (新)763
  ・マエノカワゾイ(前の川沿) 〃 (新)713
  ・ホリタ(堀田) 〃 (新)728
  ・ガラタ 〃 〃
  ・カヤノナカ(萱の中) 〃 〃
  ・ゴマシマダ(胡麻島田) 〃 〃
  ・ゲンジロウヅクリ(源次郎作り) 〃 〃
  ・ノシロダ(苗代田) 〃 (新)729
  ・リヘサノミチブチ(理兵渕) 〃 〃
  ・ムサジカワブチ(武佐川渕) 〃 〃
  ・ミヤガワブチ(宮川渕) 〃 〃


 6 八幡島(やはたじま)

   苗加の中程の所に位置し、東は猿留島・寺田島、西は鷹栖、藤田集落に接する場所。由来は古川の東外川原鎮座の八幡宮を遷移した由(東野尻村史)。

  ・ゼンブクダ 川辺実 耕作地の呼称 (新)922
  ・ソウレン 〃 〃
  ・オオゼマツ 〃 (新)928
  ・キリエモンヅクリ 〃 (新)929
  ・ヒガシオオサ 〃 〃
  ・ニシオオサ 〃 〃
  ・サンカクダ 〃 (野村島)(新)923
  ・ツガルダ 〃 (新)460
  ・モメンダ 〃 (新)932
  ・アナダ 〃 (新)929
  ・ハカダ 〃 (新)926
  ・オオクラダ(大倉田) 川辺忠成 耕作地の呼称 (新)951
  ・アツチダ 〃 (新)955
  ・オカモトヤダ(岡本) 〃 (新)949
  ・カワニシヤダ(川西) 〃 (新)958

  

7 原道島(はらどじま)
 
   現原道集落全域で東は猿留島、野村島の東島、中之島、南は野村島、西島と、北は苗加の寺田島、鷹栖、西は藤田島と接する所に位置する。由来は未だ詳ならず不明。

  ・ワヨモンヅクリ(和右ヱ門) 加藤進 耕作地の呼称 (新)1193
  ・ヤッショモンヅクリ(安右ヱ門作り) 〃 (新)1192
  ・ハラドミナクチ(原道水口) 小倉俊雄 耕作地の呼称 (新)1156
  ・クボ(窪) 〃 (新)1154
  ・ハッケグチ(咄江口) 〃 〃
  ・シンガイダ 〃 (新)1179
  ・サンカクダ(三角田) 〃 〃
  ・ノシロダ(苗代田) 〃 〃
  ・ウラヘラ(浦平) 〃 〃
  ・セドノタ(背戸の田) 〃 (新)1181
  ・サンマイミナクチ(三昧水口) 〃 (新)1154
  ・オオタ(大田) 〃 (新)1153
  ・ヤブタ(薮田) 〃 (新)1202
  ・ノムラジマダ(野村島田) 高田慶三 耕作田の呼称 (新)1172
  ・オグラセイハチヅクリ(小倉清八) 〃 (新)1163
  ・オグラタヨモンヅクリ(小倉宅右ヱ門) 〃 (新)1157
  ・トンガリダ 加藤顕良 耕作田の呼称 (新)1234
  ・オオタ(大田) 〃 〃
  ・ヤシキダ(屋敷) 〃 (新)1235
  ・サンカクダ(三角田) 〃 〃
  ・ナガタ(長田) 〃 〃
  ・ツボジリノタ(坪尻) 〃 (新)1236
  ・ソウムギダ(そう麦) 〃 〃
  ・ナヤノセド(納屋) 〃 (新)1237
  ・クラノセド(蔵の背戸) 〃 〃
  ・デトノタ(出戸) 〃 (新)1241
  ・モメンダ(木綿) 〃 (新)1242
  ・チョウザブロウヅクリ(長三郎) 〃 (新)1244
  ・セイヨモンヅクリ(清右ヱ門) 〃 (新)1245
  ・シンニョモンヅクリ(新右ヱ門) 〃 (新)1203
  ・イダ(井田) 〃 (新)1202
  ・クヤダ(くや) 〃 (新)7553
  ・キソエモンヅクリ(喜三ヱ門) 斉藤稔 耕作地の呼称 (新)1010
  ・サンカクダ(三角田) 〃 (新)1019
  ・オオサンカクダ(大三角) 〃 (新)1021
  ・ゴカクダ(五角田) 〃 (新)1021
  ・ナガタ(長田) 〃 (新)1040
  ・ハカバノオオタ(墓場) 〃 (新)1025
  ・ヤスベシタノタ(安兵衛) 〃 〃
  ・ゴンニョモンヅクリ(権右ヱ門) 〃 (新)1070
  ・チョウゾウヅクリ(長蔵) 〃 〃
  ・マエノオオタ(前の大田) 加藤秋雄 耕作地の呼称 (新)1183
  ・ニシシンケノマエ(西新家前) 〃 (新)1197
  ・ニシカワゾエ(西川沿い) 〃 (新)1186
  ・ナガタ(長田) 〃 (新)1153
  ・ヤブタ(薮田) 〃 (新)1187
  ・フクビダ(瓢<ふくべ>田) 〃 (新)1152
  ・セセナギ 〃 (新)1149


 8 藤田島(ふじたじま)

   原道島、野尻、鷹栖の間に位置する。由来は加藤、斉藤、川辺等、藤原氏の末裔が多くその頭文字をとったものといわれる。
  ・フジマツノマエ(藤松) 川辺久之 耕作地の呼称 (新)1423
  ・リョウモンヅクリ(理右ヱ門) 〃 (新)1417
  ・ジヤシマ 加藤みどり 耕作地の呼称 (新)1395
  ・キツゾサヅクリ(吉蔵) 〃 (新)1392
  ・イチマイオトシ(一枚落) 〃 (新)1401
  ・ニヨモンヅクリ(仁右ヱ門) 川辺照美 耕作地の呼称 (新)1429
  ・ニロクロヅクリ(仁六郎) 斉藤吉弘 耕作地の呼称 (新)1451
  ・スイシャノタ(水車の田) 〃 (新)1447
  ・ドンジリ 〃 (新)1442
  ・ヤブノシタ(藪の下) 〃 (新)1445
  ・フルナワシロ(古苗代) 〃 (新)1448
  ・イッタンダ(一反田) 〃 (新)1450
  ・ジモリダ(地盛田) 三部俊昭 耕作地の呼称 (新)1121
  ・マルボン(丸盆) 〃 〃
  ・マツノキ(松の木) 〃 (新)1126
  ・セドサンカク(背戸三角) 〃 (新)1126
  ・オモテノデト(表の出戸) 〃 (新)1128
  ・デトノタ(出戸の田) 〃 (新)1133
  ・ソバダ(蕎田) 〃 〃
  ・カギダ(鍵田) 〃 (新)1134
  ・ホンゴヤヅクリ(本江屋) 〃 (新)1135
  ・タクヨモンヅクリ(宅右ヱ門) 〃 (新)1133
  ・タクヨモンカギダ(宅右ヱ門鍵田) 〃 (新)1134
  ・クボノオオタ(窪の大田) 〃 〃
  ・クボノミナクチ(窪の水口) 〃 (新)1135
  ・クボノシモミナクチ(窪の下水口) 〃 〃
  ・クボノナガタ(窪の長田) 〃 (新)1136
  ・クボノサンカク(窪の三角) 〃 (新)1137
  ・ゼンベヅクリ(善兵衛作り) 〃 (新)1136
・ヤシキダ(屋敷田) 〃 〃
  ・ヌマダ(沼田) 〃 (新)1137
  ・カタヤマノマエ(片山の前) 〃 (新)1377
  ・シバニョウダ(柴にょう) 斉藤信弘 耕作地の呼称 (新)1330
  ・ナヤノウシロ(納屋の後) 〃 (新)1306
  ・ハカバノタ(墓場の田) 〃 (新)1325
  ・キツネドノタ(狐土の田) 〃 (新)1332
  ・ジャスマ 加藤友吉 耕作地の呼称 (新)1395
  ・ヤシキダ(屋敷田) 片山正 耕作地の呼称 (新)1370〜1363
  ・ヤシキダ(屋敷田) 斉藤利晴 耕作地の呼称 (新)1365
  ・マルジマ(丸島) 〃 (新)1343
  ・ニヒョアシ(二俵足) 〃 (新)1344
  ・サンカクダ(三角田) 〃 (新)1345
  ・ヤブノシタ(藪の下) 〃 (新)1345
  ・マエニシオオセマツ(前西大勢待) 川辺長昭 耕作地の呼称 (新)2022〜1421
  ・マエヒガシオオセマツ(前東大勢待) 〃 (新)2013〜1454
  ・ナガタ(長田) 〃 (新)1421〜1454
  ・ツボノキリ(坪の切) 〃 (新)3002〜1421
  ・ヤブノシタ(藪の下) 〃 (新)3002〜1422
  ・アゼノハナノウエ(畦端の上) 〃 (新)1422
  ・サンカク(三角) 〃 (新)1423
  ・ロクゾヅクリ(六蔵作り) 〃 (新)1392
  ・セイシマダ(清四ま田) 斉藤ふみ 耕作地の呼称 (新)1318
  ・ヘイワダ(平和田) 〃 〃
  ・マエノシマ(前の島) 〃 (新)1317
  ・ヘイハチヅクリ(平八作り) 〃 〃
  ・デミチ(出道) 〃 (新)1316
  ・フルナワシロ(古苗代) 〃 (新)1317
  ・ホリノカケ(堀の欠) 〃 (新)1312
  ・ナワシロ(苗代) 〃 (新)1314
  ・クラノセド(倉の背戸) 〃 (新)1312
  ・ヨコミチノシタ(横道の下) 〃 〃
  ・オオタミチマタギ(大田道またぎ) 〃 〃
  ・キリコダ(切子田) 〃 (新)1309
  ・ジロベヅクリ(次郎平作り) 〃 (新)1324
  ・ヤケウマ(焼馬) (新)1208〜1237の各一部。現用排水路辺りを流れ、倶利伽羅の戦に敗れた平家の武士等が一気にここまで逃げて来た所(野尻、鷹栖にも同名の箇所あり)。区画整理までは川沿い一帯に雑木繁茂していた。
  ・マタスケジマ(又透島) (新)1329辺り。前田藩時代地積検地の際、検地棹を打立てるに大股で繰り出して、地積の余禄を図ったといわれている地帯。
  ・ヤマカイドウ(山街道) (6〜7 境界地) (新)993〜1002の間を辷り川が流れ、その川沿いにあった道路。またその道路を挟んで用水が4本もあり、豪雨のときには必ず辺りの川水が溢れ、北の道路は川のようになること屡々あり。


 9 焼馬(やけうま)

   場所はかつて焼馬川の鷹栖集落との境界付近で、砂利置場として堆積し、雑木繁茂していたが、区画整理後は美田となる。(新)1325番の中程より下流に位置する。


 10 猿尾島(さるおじま)

   (新)1432〜1435〜1436〜1437辺りである。

  


 【砺波市老人クラブ連合会発行「砺波市の地名−郷土の字・由来調査事業報告書」1993年より抜粋】

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