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[夜高]夜高よもやま話 2013.3.26
夜高よもやま話

夜高よもやま話

<小学校の頃から、夜高は特別な存在。>
 「初めて夜高を手伝ったのは小学生の時」と大島さん。祭り当日、夜高に釘付けになっている子どもたちを大勢目撃しましたが、小さい頃から、特別な想いが醸成されるようです。
 「小学生の時は、夜高ごっこで遊んでいた」という佐藤さん。特に夜高をぶつけあう「喧嘩」に興味があり、勝ち負けにこだわって遊んでいたそう。大人たちが夢中になる夜高に「早く関わりたい」という憧れを持ちながら、この地域で育ってきたのですね。

<夜高づくりの時期は、…はっきり言って仕事にならない(笑)。>
 制作は毎晩。「祭りが近づくほど帰りが遅くなる」というのは、全ての人の言。1ヶ月目は11時に帰れたのに、2ヶ月目は12 時、3ヶ月目は2〜3時という風に。睡眠時間3時間の過酷な日々が続き「疲れて仕事にならない(笑)」ことも。

<それぞれに、ふさわしい役割がある。>
 「一生懸命、頑張ったヤツが報われるようにしないと」と大島さん。山の上に乗ったり、指示をしたりする華やかでかっこいい役は、行燈づくりを頑張った証だそうです。町の夜高保存会長のもと、大小の行燈の裁許、副裁許、そして会計、副会計という役があります。 特に会計は、準備から当日まで気の抜けない役。

<すべてを取り仕切る、「裁許」の最高の瞬間。>
 今回の広上町の大行燈の裁許を務めたのは、大阪出身の中村さん。15年前に引っ越してきて、夜高に関わるようになりました。「1 年目は様子見。知り合いもいない状態 ですから顔を売った。本格的に制作に関わったのは2年目。」
 裁許は、祭りの責任者。「行燈ができ上がっていくほどに裁許は孤独になる」… 段取りやメンバーをまとめるのに心を砕くそうです。
 そうして迎えた祭り当日、突き合わせの時は毎回、万感の想いを込めて笛を吹くそうです。「笛の合図で、みんなが一心不乱に縄を引く。これが最高の瞬間。ああ、みんな いい顔している!と思うと、嬉しさが込み上げてくる。」裁許は、孤独ですがやりがいのある役割なのです。

<理想は、父らの夜高。>
 毎年だんだんと細工が細かくなる夜高。骨組みを鉄や針金で行う町も増え、設計はパソコンを使って行うそう。でも、佐藤さんの理想は「父が作っていた、すらっとした夜高。賞にこだわらず各町内ごとに作りたいものを作っていたあの時代に憧れる」のだそうです。

<夜高を存続するために自分たちができること>
 佐藤さんと古林さんが所属している「夜行会」は、20〜30 代の夜高を愛する人々が町内横断型で参加。自分たちで協賛を集めパンフレットを作っています。各町のしきたりや規則など、外からは踏み込めない部分の多い夜高。各町内で熱心に夜高に関わるメンバーどうしがノウハウ交換や交流をしながら、郷土の歴史を調べたり、県外のイベントへ参加したりと、夜高全体の魅力発信につながっています。

<夜高づくりは、コミュニケーションの場。>
 働き盛りの世代、仕事が理由で参加の二の足を踏む人は少なくないのではないでしょうか。
 しかし、「制作を通じて、町内の人に顔を覚えてもらうことが大事」と、力説する佐藤さん。最初は様子見でもいいから、ロウ引きや色塗りに参加してみては?

「頑張って行燈つくったヤツが、当日かっこいい役をもらえるように」 大島 俊典さん(広上町)
「裁許になって嬉しいのは、突き合わせで笛を吹く瞬間」 中村 孝司さん(広上町)
「『夜高ごっこ』でよく遊んだなぁ。小学生は、勝ち負けがシビア(笑)」 佐藤 丈寛さん(夜行会)
「飲んでも飲まなくても、『夜高』の話ばっかり」 古林 達也さん(夜行会)
2012年に新発売。大人気の全町内分ミニ法被セット。

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