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清原 啓一(きよはら けいいち) 2013.4.5
一貫して「鶏」を描き、確たる評価と名声を得た“群鶏の画家”

清原 啓一

 1927 年、富山県砺波市中野に農家の長男として生まれる。富山師範学校を卒業し、津沢中学校の教師となり、勤務する傍ら週末に川辺外治のアトリエに赴き、3年間川辺から指導を受けた。1950年に明治大学経済学部に編入し、上京する。大学を卒業する1952年に日展初入賞。卒業後も東京で中学教師として働きながら制作をし続ける。人物画や静物画で団体展に入選。次への展開のための新しいモチーフを探していたときに、郷里で飼っていた鶏を思い出す。1954年、第10日展で鶏を画題とする作品を初めて出品する。以後60年にわたって鶏を主題にした一連の作品群で自らの絵画様式を確立した。数々の賞を受け、日本芸術院会員、日展顧問、光風会常任理事を務めるなど、洋画檀の重鎮として活躍した。
 清原啓一は鶏を描くにあたって、庭に鶏を飼い、一日50枚、2000枚に及ぶ写生をした。鶏は風景や婦人像とは違って、瞬時も止まっていないで動き回るため、油彩画での表現は困難と思われるが、60年にわたってひたすら取り組み続けた。それは留まることをせず、年代とともに表現方法も変わってきた。描き始めた当初は、自らが選んだものを見たとおりに描いていた。やがて鶏の形態と量感に主題が置かれ、一つの生き物として忠実に描くようになる。しかし、次に現れた鶏の形は、これまでの一連の流れから抜け出すように抽象化した。そして1970年代より、鶏を描くことから鶏で表現することに主題が変化する。1980年代後半からは日本の風土を表現することに挑戦し始め、装飾性の高い遊鶏図となる。2000年代は、清原芸術の円熟期と位置づけられ、日本の四季の感覚と、象徴的な存在に高まった鶏とを調和させた豊麗な絵画表現をみせた。


作家画歴
1927年 富山県砺波市中野に生まれる。
1952年 明治大学政経学部卒業。
      日展《椅子による女》初入選。
1959年 日展《群鶏》特選。光風会会員推挙。
1964年 光風会50回記念展《鶏》記念会員賞。
1967年 安井賞展《群鶏》出品。昭和会員展招待出品。
1974年 光風会60回記念展《小さな争い》記念特別賞。
1975年 日展審査員を務める。
1978年 光風会展《鼎立》辻永記念賞。 
1994年 日展《散策》内閣総理大臣賞。富山県功労表彰。 
2002年 光風会常任理事となる。
      《花園の遊鶏》日本藝術院賞・恩賜賞。
2003年 日展常務理事となる。
2007年 旭日中綬章を受章。
2008年 日展顧問となる。
      富山県立近代美術館にて回顧展。
      10月11日 逝去。
2010 年 砺波市美術館にて遺作展が開催される。

紅葉遊鶏図 2005年

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