近畿地方に大和政権がそのいしずえをすえ、権力者のために一定の規格と築造方式をもった壮大な墳墓が建設されるのは3世紀の終わりから7世紀ごろまでで、これを石器時代という。市内池原(いけのはら)には、かつて古墳といわれた墳墓様(よう)のものが2基ある。丸山と狐塚がそれで、1949年(昭和24)年に一たん県史跡に指定されたが、現在に至るまで明確な発掘調査が行われておらず、古墳期の墳墓かどうかはっきりしていない。むしろ、付近にあって今は消失した大塚がそうではないかと考えられている。
古墳時代と重なる新しい伝来土器には、5世紀に朝鮮半島からわが国に伝わってきた須恵器がある。富山県地方には6世紀にようやくその製法が伝えられた。市内では、福山、増山、東保石坂などに芹谷野段丘の崖地を利用して築かれた登り窯があり、須恵器が製作されていた。
この土器はロクロを使って成型する。県内の主な窯跡は、射水丘陵(太閤山流通団地)が最大で、呉羽、立山、小矢部蟹谷(かんだ)丘陵、福野、福光になる。
さて人々が使用した須恵器の市内の出土地点は上図のとおりである。図によると、一つは高道・宮村・中村・千代の地点であり、他の一つは、小杉・小島・南高木・の地点である。これらの地点は、早ければ、奈良時代、おそくとも平安時代には、ある程度の開拓が進み、生活の場となった所である。須恵器の窯跡は庄東の丘陵地帯の福山、宮森、増山などの和田川の段丘崖(だんきゅうがい)や団子地(だごじ)、小丸山などにある。福山の窯跡では、仏教の流布に関係のある瓦塔(がとう)や円面硯などが出土している。
また、東保地区の高池には平窯(ひらがま)の跡があり、弥生土器の流れをくむ土師質(はじしつ)土器の灯明皿(とうみょうざら)や椀などが多数出土している。
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