厄払い鯉の放流
2017.1.17
厄を鯉に託して放流する奇祭
厄払い鯉の放流
開催日:1月7日
時間:厄年祈祷大祭 午前10時30分〜正午頃 / 鯉の放流 正午頃〜
場所:金屋神明宮、厄払い鯉の放流場(庄川水記念公園内)
「とやまの年中行事百選」
この祭りは、1816年(文化13)3月26日に行われた金屋神明宮の遷宮の際に、 鯉を神饌として供えた際、長時間の神事が終了してもまだ鯉が生きていたことから、この鯉の生命力にあやかるとと もに身の厄を託し、御神酒を飲ませて庄川に放流したのが起源とされている。
行事では、厄年にあたる老若男女(男性は、数え年7、13、25、42、61歳、女性は、 数え年7、13、19、33、61歳)が「長寿」「学業成就」などを願い、御神酒を与えられた鯉に一人ひとりが手を触れ、庄川へ放流している。明治の初めごろに開催日が1月7日に変更されたが、今日にいたるまで金屋神明宮の伝統行事として毎年続けられている。
鯉の生命力にあやかる
昭和57年以前の様子
1816年(文化13)3月26日、金屋神明宮の旧社地、金屋字大宮野社地から現在の境内地(砺波市金屋1285)に遷座された。遷宮祭に引き続いて厄年祈祷祭を行ったとき、数々の新撰の中に川の物として庄川に住む、最も生気溌剌とした鯉があった。
この鯉は25歳の厄年連中が捕獲し、生きたまま神前に供えたものであったが、長時間の祭典が終了し、撤饌したところ、鯉はまだ生きていたので、その生命力に感激し、一同連れだって庄川へ行き、生きたまま神前に供えたことを謝り、あわせて災厄を鯉に託し、その口に神酒を注いで川中へ放流したという。
厄払い鯉の放流は、その神事を起源とする行事である。
金屋在住の野村忠平氏によると、明治初期ごろに1月7日に変更する前は遷座日である3月26日に行っていたのではないかという。
「いきいき富山観光キャンペーン」で町一番のイベントに
昭和58年の厄払い鯉の放流(写真提供:庄川峡観光協同組合)
この行事は文化13年(1816)から金屋神明宮の厄除祈祷祭として脈々と続けられてきたものであるが、今日ほど報道各社に取り上げられるきっかけとなったのは、昭和58年(1983)の「いきいき富山観光キャンペーン」であると野村氏は語る。
この事業は、昭和58年から富山県が国鉄の協力を得て、市町村、地鉄グループ、旅館グループなどが約1億円の経費をかけて県下の観光地を重点的に宣伝し、観光誘致に役立てようとしたものである。庄川町では、「木工まつり」、「厄払い鯉の放流」、「庄川遊覧船と川こびれ」を町の三大イベントとして打ち出した。その中でもっとも大きな事業に位置付けられたのが「厄払い鯉の放流」である。
鯉の放流行事の第1回は昭和58年4月29日に行われ、以後9日、19日、29日と定期的に行った。翌59年には、「厄払い鯉の放流―あなたの厄をのぼり鯉に託そう」と題して行われ、鯉の放流行事のために休憩所を設置、のぼり鯉などの彫刻の実演、鯉などのレリーフ、ループタイなどの販売が行われた。60年には、ほぼ前年と同じ内容でイベントが行われるとともに、1月には観光協同組合が「厄払いツアー」のチラシ3万枚を作成し、全国の旅行業者に発送した。
この事業を機に、それまでは庄川合口堰堤(合口ダム)近くの旧石沢石材店あたりで鯉の放流を行っていたが、景色の良さなどから昭和58年に現在地へ変更された。
このように昭和58年から60年までに行われた「いきいき富山観光キャンペーン」によって厄払い鯉の放流がイベントとして取り上げられるようになり、全国的な認知度が上がるとともに放流の場所が現在地に変更された。
<参考>
『庄川町史』上巻・続巻
庄川峡観光協同組合 1985 『庄川峡観光60年のあゆみ』
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金屋神明宮での神事
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鯉を放流場へ運ぶ
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行事の様子
- 所在地
- 〒932-0305
富山県砺波市庄川町金屋1285(金屋神明宮) - アクセス
- 砺波ICから車で20分
お問い合わせ
庄川峡観光協同組合
TEL: 0763-82-1155