正倉日記

 

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薬勝寺の文化財

2021.12.9

薬勝寺の文化財

薬勝寺の文化財1

薬勝寺の文化財1

砺波市安川にある薬勝寺には、砺波市指定文化財の「木造桂岩運芳倚坐像」と、ふるさと文化財の「親王塚」があります。
 
「木造桂岩運芳倚坐像」は、南北朝時代末〜室町時代初めの作で、薬勝寺の招請開山僧である桂岩運芳師の頂相です。桂岩運芳師は京都の建仁寺より招請されて開山となった方です。頂相といえば、禅宗の僧侶が人の師と成る時に自分の師から与えられる師の肖像画で、写実的な絵です。玉眼がはめこまれたお顔は、禅宗の修行を体現しているかのように、厳しくリアルです。
 
「親王塚」は薬勝寺の脇から少し丘を登ったところにある宝篋印塔です。この塚には後花園天皇の皇子淳良親王のものとする伝承があります。


応仁の乱(1467〜77)によって京都を追われた淳良親王は、般若郷安川の里(現在の砺波市安川)に仮の宮殿を造って供の公卿と供に三年間わび住まいをされた。般若郷の人々は皆皇子を敬慕するようになったが、増山城城主はこれを快く思わず、文明三年(1471)のある夜に家来に命じてひそかに皇子と供の公卿を殺害した。翌朝これを薬勝寺の文坡和尚が知り、あわてて城主に伝えたところ、城主は「それは郷民の仕業に違いない」として、さもその死を悼むようなふりをして墓所を築き、般若塔(親王塚)と名づけてこの地に葬った。
 
 ちなみに後花園天皇には淳良親王という名前の皇子はいないそうです。この伝承はおそらく、文明六年(1474)に越中へ下向した徳大寺実淳の伝承から転化したものと考えられます。
 歴史には長い年月の間にロマンや脚色が加わる場合もあります。それも含めて思いをはせるのも歴史の楽しみ方のひとつですよね。伝承等に関しては、長くなるのでまた後日…。
 
 さて、そんな桂岩運芳師と親王塚の法要が行われます。
「薬勝寺大般若会」
6月13日(水)
10時半〜 桂岩運芳師の法要
13時半〜 親王塚の法要  
ご住職は「たくさんの方に、どうぞお参りください」とおっしゃっていました。 
 
ちなみに薬勝寺の山門前には、こんなにかわいらしい五百羅漢が…。

五百羅漢

五百羅漢

どのお顔もかわいらしい笑顔でした。見ていると癒されますよ。五百羅漢の法要は4月だそうです。 


【2012年06月08日17:10 「ふるさと学芸員の小窓」より】