正倉日記

 

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苗加板碑

2021.12.11

苗加板碑

「苗加板碑」は平安時代末期の武将 斉藤実盛の末裔と伝わる旧家の庭に所在します。
庭にはラントバと呼ばれる小祠があり、そこに祀られています。
 中世までの砺波は洪水の比較的少ない土地に小さな村々が生まれていました。板碑が所在する周辺はかつて野尻川の氾濫原であり、この地の開拓は文禄三年(1594)に前田利長が野開き申付状を出して以降、急速に進んでいきます。
 「苗加板碑」は供養塔として造立された2基の板碑と2体の石仏から成り、板碑に彫られた「康暦二年」(1380)の年号から、板碑は南北朝期に造立されたものと考えられます。また、その石材は関東地方で採掘されるものであって、この地方の板碑には極めて珍しいものです。
 写真中央の青味がかった二つの石が板碑です。
 縦長の方をAとし、背の低い方をBとします。

苗加板碑

苗加板碑

板碑Aの上部には2本の線が彫られ、その下には大日如来を表す梵字「バン」が蓮座に乗るような形で彫られています。またその下には「康厂二年八月日」と刻まれています。「厂」は「暦」の略字で、康暦2年は北朝の年号で西暦1380年です。
 
また、板碑Bは上部が欠落した形で残っています。左には「サク」(勢至菩薩)、右には「サ」(観音菩薩)の種字があります。欠落した部分には「キリーク」(阿弥陀如来)が彫られていたのではないかと推測されていて、この三仏で弥陀三尊が彫られていることになります。
 
一方、石仏は高岡市雨晴周辺で採掘される石材を使用して目鼻立ちのはっきりとしない如来形の坐像を浮彫りにしたものです。この地方の古くから開けた土地には多々見られ、こちらの石仏も造立年は南北朝期であろうと考えられています。
 これらは個人のお宅のお庭にあるものなので一般に公開されているものではないということです。
 損壊は見られるものの、このような石碑が今に残っているということは子孫の方々の宗教心の表れなのでしょうか。板碑がどのような経緯で関東から砺波に持ち込まれたのかを想像するのもおもしろいですね。


【2012年07月06日09:16 「ふるさと学芸員の小窓」より】