正倉日記

 

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石崎謙碑

2021.12.11

石崎謙碑

石崎謙碑

石崎謙碑

石崎謙は天保十一年(1840)8月20日に現在の砺波市小島に生まれました。幼少の頃から漢籍・医学・儒学など広く学問を修めた他、学制が施行されると自宅を小学校舎として開放するなど、教育の発展にも積極的な人物でした。また富山県の分県運動にも一石を投じています。


かつての富山県は石川県と統合されていたことで様々な不都合を被っていました。当時東京で司法省に勤務していた石崎は、分県の必然性を穏健かつ理路整然と唱えた建白書を元老院に提出しました。米沢紋三郎らが建白書を提出したのはその翌年で、それから一年を経たずして富山県の分県が成っています。当時の政府には富山県出身の顕官がいなかったにも関わらず、スピード成就と言えます。石崎は富山県分県の先駆者でもあるのです。
 東京での官を辞した石崎は前田候の招聘によって金沢藩史の編纂に携わり、晩年は郷里に戻り、子弟の教育にあたりました。
明治36年1月3日逝去。石崎の死後、彼の師三島毅による石碑が建立され、生い立ちや業績に加えて石崎の優れた学問の才を讃え死を悼む漢詩も刻まれています。
一生を通して学問と教育文化の普及に努めた石崎は、明治維新以降の日本の近代化に支えたひとりとも言えます。


【2012年09月12日16:32 「ふるさと学芸員の小窓」より】