江戸時代

  • 2013.3.16
    二万七千石用水取入口跡
    二万七千石用水取入口跡(にまんしちせんごくようすいとりいれくちあと)  昭和62年3月30日・市指定 砺波市庄川町金屋   この用水取入口は、庄川の流れが赤岩地点で直角に変わる自然立地を巧みに利用し、川倉(かわぐら)を組み導水堰を…
  • 2013.3.16
    庄川の弁財天社
    庄川の弁財天社(しょうがわのべんざいてんしゃ)昭和62年3月30日・市指定砺波市庄川町庄  弁財天社は「元雄神神社」とも言い、庄川流域の治水の水神として、現在も流域の人々の崇敬を集めています。  言い伝えによると、天正13年(1585)の大地震で庄川の流れが大…
  • 景完教寺の梵鐘
    2013.3.11
    景完教寺の梵鐘
    宝永5年(1708)、加賀の名工、宮崎寒雉(かんち)藤原義一の銘がある梵鐘です。 寒雉の没年は正徳2年(1712)で、この梵鐘は生前最後の作です。県内における寒雉の梵鐘は4口確認されていますが、そのひとつです。市内では寛永15年(1638)銘の厳照寺の梵鐘に次いで2番目に古いもの…
  • 圓光寺の梵鐘
    2013.3.11
    圓光寺の梵鐘
    圓光寺の梵鐘(えんこうじのぼんしょう)平成14年1月29日・市指定砺波市神島 第二次世界大戦中に、各寺院 の梵鐘が金属類回収令によって供出されましたが、国宝やそれに指定申請中のものなどは供出を免れました。「金属類回収令と富山県の梵鐘始末(下)」(斉藤 善夫『富…
  • 厳照寺の梵鐘
    2013.3.11
    厳照寺の梵鐘
    厳照寺の梵鐘(ごんしょうじのぼんしょう)昭和43年7月24日・市指定砺波市福岡 この銅製梵鐘(ぼんしょ う)は寛永15年(1638)旧砺波郡西保(高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたことが銘文によって知られています。鐘身96cm。竜頭(りゅう ず)(釣り…
  • 河合文書
    2013.3.11
    河合文書
    河合文書(かわいもんじょ)平成3年6月13日・市指定砺波市鹿島 河合(三郎左衛門)家は近世初頭から文書に現れる大百姓です。初出文書は文禄5年(1596)の「前田利長、鹿島の内野村島新開申付状」で、前田氏が砺波郡を含む越中川西三郡を領有した天正13年(1585)から程遠からぬ時期の…
  • 2013.3.11
    河邊次郎左衛門文書
    平成19年6月22日・市指定個人所有・砺波郷土資料館蔵(砺波市花園町) 河邊次郎左衛門文書は、近世初頭の文禄期から明治初年にいたる総数202点から成り、特に初期のものは庄川扇状地の扇央部及び野尻野の開発過程を知る上で、非常に貴重な文書です。 河邊氏は、安土桃山時代(16世紀末)に…
  • 杉木新町町立願書
    2013.3.11
    杉木新町町立願書
    杉木新町町立願書(すぎのきしんまちまちだてねがいしょ)昭和43年7月24日・市指定砺波市花園町(砺波郷土資料館)  江戸時代の初め、慶安2年(1649)の正月、砺波郡杉木村二郎兵衛を筆頭に、太郎丸村・十念(年)明村・深江村・中神村・北高木村等近在の百姓16名が …
  • 慶長二年里山村等検地打渡状
    2013.3.11
    慶長二年里山村等検地打渡状
    慶長二年里山村等検地打渡状(けいちょうにねんさとやまむらとうけんちうちわたしじょう)昭和62年3月30日・市指定砺波市庄川町金屋 隠尾の南部家所蔵、慶長2年(1597)9月朔日(ついたち)付け文書「当村検地物成(ものなり)(江戸時代の年貢)之事」で、旧庄川町最古の文書です。 「村…
  • 松川除堤防の終点
    2013.3.9
    松川除堤防と御川除地蔵
    松川除堤防と御川除地蔵(まつかわよけていぼうとおんかわよけじぞう)平成20年2月27日・市指定砺波市上中野・庄川町青島・庄川町庄(国土交通省他) 松川除堤防は庄川の扇頂部にあります。庄川の治水と砺波平野の開発のために築造され、近世を通じて補強された治水遺跡です。 天正13年(15…