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「砺波野の草相撲の力士たち」の記事

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6-4砺波野の相撲の中心地 出町

2015.2.5

砺波出身の大相撲の親方二人 九重親方と鏡山親方

太孝山清吉

太孝山清吉

三代目九重親方 太孝山清吉(鷹栖 室田与三吉)



鷹栖村(現砺波市鷹栖)出身。天保年間に江戸相撲で活躍し、十両筆頭にまで進んだ。「二本松」「清吉」「太孝山」と名を替え、弘化3年(1864)に引退した後、長く中絶していた九重を襲名し、三代目九重武治右衛門となった。 鷹栖(15区)にある石碑(後述力士碑No.35-2)は嘉永7年(1854)6月に建てられたもので、共に記された頂山・若松は太孝山の実弟である。この力士三兄弟を顕彰して明治28年(1895)にも石碑が建てられた(後述力士碑No.33-1)。




(砺波市北高木 個人蔵)

(砺波市北高木 個人蔵)

五代目鏡山親方 金木山吉蔵(北高木 藤山吉蔵)



明治3年(1870)9月28日、北高木村(現砺波市北高木)に生まれる。 のちに横綱20代目となる梅ヶ谷とともに東京相撲の力士となり、明治27年「高木山吉三」の名で、序ノ口のち最高位幕下四十三まで上がった。その間「高木山」「白猫」「金木山」と改名した。 明治44年(1911)、病気のため引退した後、年寄鏡山静太夫を襲名し、五代目鏡山親方として後進の指導に務めた。 昭和10年(1935)頃には郷里の北高木で花相撲を興行し、その利益で北高木八幡宮の本殿に通じる玉垣の屋根瓦を寄進した。 昭和20年(1945)1月12日、76歳で死去した。

金木山吉蔵

金木山吉蔵





右下:『相撲』1990年12月号

左:寄進札 (北高木 八幡宮蔵)







【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】