『砺波野が育んだ地酒』

  • 2014.6.24
    D−2杜氏集団について
    (平成6年酒造年度・富山税務署資料)越後杜氏(新潟県)玉旭酒造  婦負郡八尾町  1名吉之友酒造 婦負郡婦中町  1名富美菊酒造 富山市百塚   1名本江酒造  魚津市本江新町 1名銀盤酒造  黒部市萩生   1名皇国晴酒造 黒部市生地   1名林酒造   下新川郡朝日町 1名立…
  • 杜氏とは
    2014.6.24
    D−1杜氏集団について
    杜氏とは酒蔵で働く蔵人の頭を意味するとともに、その総称でもある。 蔵人の統率者としての杜氏はひじょうな権限をもっているもので、酒造り主からいっさいの責任をまかされて作業をする。ほかの職人の世界と同様に、高度の技術を必要とし、長い年季を積まねばならない。酒の元になる蒸し米や麹を調べ…
  • 表4 ある蔵元の酒造高の推移
    2014.6.24
    Cある千石クラス蔵元の酒造高の推移
     昭和40年代に廃業した砺波地方の某酒造場。そこには大正11年から太平洋戦争末期の昭和18年までの酒造記録が残っている。酒造高は千石前後。まず戦前の砺波地方では中堅どころである。記録の年代は第一世界大戦の好景気が終わって昭和初年の世界恐慌、特に農村の不景気を経て、やや立ち直りかけ…
  • 2014.6.24
    B砺波野の酒蔵
    この砺波地方で酒造りが行われたのはいつ頃からのことか、はっきりしたことはわからない。最も古い文書史料といえるのは、元禄6年(1693)の城端の「組中人々手前品々覚帳」で、ここに城端町の6名の酒造人の名が記されている。そしてその後ほぼ砺波郡全域の酒造人の名がみえるのは文政13年(1…
  • 2014.6.24
    A−3酒造りの歴史
    3.江戸時代の酒の値段について(天保年間以降) 酒の値段には中勘値段と本勘値段とがあった。中勘値段はその年の7月・8月・9月の米平均値段を基にして、毎年10月から11月に決められ、本勘値段は同年の10月・11月・12月の米平均値段を基にして、翌年正月に取り決められた。正月3日まで…
  • 天保5年(1834)7月の酒造人よりの請書
    2014.6.24
    A−2酒造りの歴史
    2.加賀藩の酒の造石制限について  加賀藩の酒造取締りが酒造りの中でどのようになされていたのか、天保9年(1838)11月の郡奉行所より町役人宛の酒造締り方申渡書によりみてみたい。天保4年、同7年、同8年と打ち続く凶作に加え、天保9年も気候が不順で不作となったの…
  • 2014.6.24
    A−1酒造りの歴史
    日本における酒造りは古く、既に縄文時代に木の実や雑穀から酒が造られていたことが知られている。文献でも3世紀末に書かれた中国の『魏志倭人伝』の中に「人性嗜酒」との言葉が見える。『古事記』や『日本書紀』の中にも神に酒を供えていたことが記されている。今日でもわざわざ神に供するために祭礼…
  • 2014.6.24
    @銘酒を育てた砺波の風土
     日本酒は米と水から作られる銘酒と呼ばれる良い酒の産地は、気候に恵まれ、「水と米とすぐれた杜氏」が条件といわれる。 この点、砺波地方は庄川と小矢部川の清流に恵まれて、早くから平野一面が水田化され、質の良い砺波米の産地として知られてきた。また、冬は雪に覆われ、三方が山に囲まれた盆地…
  • <<前のページ
  • 1
  • 次のページ>>