10−1砺波野の力士たち
2015.2.12
10砺波野の力士たち
若松顔写真
若松(鷹栖 室田與三太郎)
明治の中ごろ、鷹栖村(現砺波市鷹栖)で生まれる。
若い頃、京都へのぼって京相撲の力士となり小結まですすんだ。
その後故郷へ帰り、明治45年(1912)には、富山に建設された常設相撲場の主力となり地元で活躍した。
昭和5年(1930)3月20日に死去した。同年11月、鷹栖村総連中によって石碑が建てられた。なお、東京で九重親方を継いだ太孝山清吉(本名室田與三松)は、與三太郎のおじにあたる。
若松顔写真
「若松與三太郎」とある(松井磯次郎著『本朝相撲沿革』大正11年富山市立図書館より)
a)若松の化粧まわり(砺波市鷹栖 個人蔵)「湖東彦根有志中」から贈られたもの
b)若松の石碑(後述力士碑33-2)昭和5年建立砺波市鷹栖
c)若松の明荷(砺波市鷹栖 個人蔵)丸に違い鷹の羽紋、「頂山」と四股名が入れられている。
春風(野村島 岡崎忠左衛門)
春風肖像画 軸装
春風(野村島 岡崎忠左衛門)
安政2年(1855)、野村島(現砺波市野村島)に生まれる。
体は相撲取りとしては大きい方ではなかったが、相撲巧者で人気があり、地方相撲で名声を博した。多くの門弟を育て、生前の昭和7年(1932)11月に野村島総連中によって石碑が建てられた。その裏側には春風の門弟9人の力士名が刻まれている。
昭和8年(1933)2月16日、79歳で死去した。
春風肖像画 軸装
(砺波市野村島 個人蔵)
d)春風の石碑(後述力士碑26)昭和7年建立 砺波市野村島
e)後小松天皇頌徳碑の柵( 左端の石柱に「春風忠左エ門」とある。その右には「小柳芳太郎」とある。)
f)春風が弓取り式に使用したと伝えられる弓(砺波市野村島 個人蔵)
大井川(矢木 米林次次郎)
大井川
大井川(矢木 米林次次郎)
明治34年(1901)1月18日、矢木村(現砺波市矢木)に生まれる。
大正10年(1921)、舞鶴海兵団へ入団、軍艦「大井」に乗り組む。海軍内の相撲大会に出て度々優勝し、艦の名声を高めたので、艦長から艦名「大井川」の四股名をおくられた。
大正14年には瑞泉寺の加越能奉納角力で大関となった。
大正15年には、講演会の人々により化粧まわしが贈られ、披露相撲を行なった。
平成元年(1989)10月23日、89歳で死去した。
g)大井川化粧まわしとその箱(砺波市矢木 個人蔵)
h)優勝者に贈られる八幡幣(砺波市矢木 個人蔵)太い竹に紙しでを下げたもの
大井川化粧まわし披露相撲関係文書9点
大井川化粧まわし披露相撲関係文書9点
(砺波市矢木 個人蔵)
大正15年に大井川のの活躍を願って後援者たちから化粧まわしを贈られた。それを記念して実施された化粧まわし披露相撲に関する一連の文書。近隣の庄下・出町だけでなく、井波・福光・高岡や遠く県外の津幡などからの寄附もある。寄附に応じた人は467人、金額は514円にもなる。
【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】
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