大矢 四郎兵衛
2013.4.4
郷土の開発に尽力した
大矢 四郎兵衛
安政4年〜昭和5年
(1857〜1930)
出生地: 現 砺波市鷹栖
安政4年12月19日、砺波郡鷹栖村(現:砺波市鷹栖)に大地主の二男として生まれました。金沢の塾で学んだ後、同志とともに、苦しむ農民の声を政府に伝える活動を行っていました。明治18年、県議会議員に当選しました。明治31年には衆議院議員に当選し、国政に携わりました。
地方の発展は経済からと、中越銀行の設立(明治27年)に係わり、また、砺波平野を縦断する中越鉄道を私財を投じて設立(明治28年)、社長に就任しました。洪水に遭い計画変更も余儀なくされましたが、明治30年5月9日に高岡―福野間に蒸気機関車が富山県で初めて開通しました。四郎兵衛は明治33年に中越鉄道を離れますが、その後も区間は延長され、現在のJR氷見線・城端線にあたる氷見―城端まで全通開通したのは大正元年のことでした。この鉄道の敷設は砺波地方の開発に大きく貢献しました。明治39年四郎兵衛は新天地を求め、北海道に移住、未開地の開墾に尽力しました。
昭和5年9月25日、74歳で逝去。従六位を賜りました。
ゆかりの場所
中越弁慶号
大矢四郎兵衛の銅像
砺波市鷹栖 鷹栖農村公園内
→地域発展の功績を顕彰するため、砺波郡内、県下全域より拠金され、大正13年に銅像が建てられました。戦時中、銅像は供出されましたが、昭和35年、村民により再び現在の像が建てられました。市ふるさと文化財
中越弁慶号(蒸気機関車)
砺波市花園町1-78 チューリップ公園内
→イギリス製のナスミス・ウィルソン鰍フ機関車で中越鉄道が創業時に輸入して明治30年から大正13年まで客車・貨車のけん引に携わりました。明治期の機関車は現存数が少なく、とても貴重な近代遺産です。市指定文化財
<参考文献>
『砺波市に映える人びと』
砺波市教育会編集・発行
『鷹栖村史』
『ふるさととやまの人物ものがたり』
富山県教育委員会発行