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4近代 一大集散地 青島貯木場(その3)

2015.2.5

庶民の日用品 薪、木呂の販売

文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

 近世、御用木を伐採・造材する際、切り落とした枝や雑木が生じました。白川の村々ではこれらを庶民が毎日使用する薪にして金屋で販売することを考え、高山代官所に願い出ました。販売することが認められると、金屋に薪木呂販売業が出来ました。

 薪用の木材は長さ3尺〜6尺(90cm〜180cm)程の雑木で、木呂と呼ばれました。文化7年(1810)には砺波郡700ヶ村の中で金屋岩黒村を中心とした3つの村で60軒が薪木呂商売をおこなっていました。

金屋の薪木呂商売−文化7年(1810)を例に−
文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

 江戸時代後期の砺波郡にどのような商売があったのかを知る歴史資料に『文化7年砺波郡村々諸商売品調書上帳』(南砺市立井波図書館蔵)があります。
 
 当時砺波郡には700の村があありましたが、その中で、薪木呂商売をしていたのは3つの村だけで、青島村に2軒、示野新村に3軒、金屋岩黒村に55軒の合計60軒でした。

 金屋岩黒村の記述では、「五ヶ山から買い出し、戸出村と井波へ売る」とあります。薪木呂商売は、屋敷林などの燃料を入手しがたい町部の人々を対象にしていたと思われます。

 
文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

文化7年砺波郡村々諸商売調書上帳

(南砺市立井波図書館所蔵)








【砺波郷土資料館『流送に生きた人々展示図録』平成26年より抜粋】