5近現代 庄川の流送(その1)
2015.2.5
庄川流送
流送夫
庄川流送の手順や方法などがわかるようなくわしい記録はありません。
流送のしかたや手順呼び方などは時代や地域によって違いますが、大正期に書かれた『青島村郷土史』や『青島貯木場沿革誌』、昭和50年に刊行された『庄川町史』に記載されている古老からの聞き取りなどを参考に、大正から昭和初期にかけての庄川での流送を紹介します。
流送夫の仕事
流送夫の仕事
仕事の分担
流送の仕事は作業順に伐採・造材・集材・山出し・谷出し・川下げ・陸揚げに分けられます。このうち伐採・造材と川下げ用の川舟の作製は地元のきこりが行いました。それ以降の作業は流送夫が行いました。
庄川流送夫の仕事
流送を行う職人は流送夫や人夫(にんぷ)と呼ばれ、その中には舟を操れる舟頭もいました。
流送夫は手合(てあ)いや組に所属し、一組20人程で仕事をしました。手合いの頭を庄屋といい、通常、人夫は庄屋の代理である代頭(だいがしら)とその下にいる小頭(こがしら)の指示に従っていました。
賃金は出発前に前払いで少し支払われ、仕事が終わってから残りの賃金が支払わせるのが一般的でした。
流送の時期
木材の伐採から、貯木場に陸揚げするまでの仕事は、5期に分けました。
第1期 4月上旬から6月下旬 作業場:山
伐採・造材をする(きこりの仕事)
第2期 6月上旬から7月中旬 作業場:山
山中に散在する伐木を集める
第3期 6月中旬から8月中旬 作業場:山・支流
山出し・谷出し 支流川入れ・鉄砲
第4期 10月中旬から11月上旬 作業場:山あいの川
第5期 12月下旬から2月中旬 作業場:平地部の川
庄川から二万七千石用水取入口を通って青島の貯木場へ木材を陸揚げする
庄川流送夫の仕事始め
青島貯木場の一角には金比羅社(こんぴらしゃ)が鎮座し、土場の守り神として祭られていまし た。
8月20日に祭礼を行い、流送夫たちは山での無事を祈って山へ入ることを習わしとしました。山入りするときには、寝具や鳶口(とんび)などの道具を持参し、城端から小瀬峠を越え、
1日目は西赤尾(五ヶ山上平村)、
2日目は鳩ヶ谷(飛騨白川村)、
3日目は平瀬(同村)で泊り、
4日目は馬車で中野(飛騨荘川村)へ着くのが一般的なコースでした。
【砺波郷土資料館『流送に生きた人々展示図録』平成26年より抜粋】
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山入りのルート
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人手合いの流送人夫たち