4−1三代 佐藤助九郎
2015.1.30
三代 助九郎
三代助九郎(佐藤工業株式会社蔵)
明治29年(1896)10月22日、二代目助九郎の長男として生まれる。幼名健太郎。
昭和6年(1896)7月、佐藤工業株式会社の社長に就任。同10月、二代の逝去により、三代助九郎を襲名した。
二代に続き柳瀬村村長を務めるかたわら、富山鉄道、中越銀行、立山酒造などの役員を兼任、昭和14年(1939)には貴族院多額納税議員に当選。翌15年には佐藤工業を退任するが、その後も県内を代表する財政界の重鎮として活躍した。
また芸術に対する造詣が深く、自らも茶道・漢詩・書・画などを好み、雅号を柳亭、助庵などと称した。同36年9月に佐藤工業株式会社創業100周年を記念して、蒐集品等を広く一般に公開するため(財)佐藤美術館(現富山市佐藤記念美術館)を開館した。
昭和54年(1979)12月5日、逝去、享年84歳。
柳瀬村の特殊事情
当村の特徴といふべきは、政治上でも経済上でも村を指導する首脳者は同一人であることで、即ち村長、産業組合長、農会長、耕地整理組合長も現在三代目佐藤助九郎氏でその他の助役、常務理事、農会の副会長も同一人で兼撮してゐるといふことは他村では見られないことである。それ故に権限の争ひ事、特に政争の具に供せられることもなく至極平和で事業経営の遂行上極めて好都合である。
『我が村の振興と本組合の全秘』柳瀬村信用購買販売利用組合
(柳瀬村信用購買販売組合)
昭和9年12月
明治41年に二代助九郎によって設立された「有限責任柳瀬村購買販売組合」(のちの産業組合)25周年を記念して発刊された本。
信用・購買・販売・農業倉庫などの各事業の遂行に努め、さらに農会と協力して農業機械の導入、共同作業場の増築等、農作業の能率の増進を図った。戦時体制のもとでは、村を挙げての貯蓄推進につとめ、さらにその賞金を増やして「女で護る村」のテーマで映画化もされた。
柳瀬尋常高等小学校
昭和10年
右建設中 左完成
二代も三代も非常に教育に熱心であった。書初用の筆を毎年正月に子どもたちへ贈ったことは今も語り継がれている。
【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋】