6−1常願寺川大改修工事
2015.1.30
デ・レイケの改修計画
常願寺川改修工事 明治25年
常願寺川安政5年(1858)の鳶山一帯の大崩落後、河床が急激に上昇し、大雨のたびに洪水をひき起こしていた。なかでも明治24年(1891)7月の出水によって悲惨さは極に達した。それに対処するため、県では内務省雇技師オランダ人ヨハネス・デ・レイケの指導に基づいて改修を行なうこととした。
工事は明治24年12月に開始された。工区は上流から下流まで5方面に区分され、それぞれの方向には監督・指導する県の技手数人が配置された。夏期は6千人から7千人、冬期は1万人を動員し、おそらく、県内で初めて導入された軽便レールやトロッコ、鉄製の機械などが使用された。工事施行中も、何度も大水で堤防が崩壊したり、流失するなど難工事であったが、明治26年3月、ほぼ計画どおりの期間で完成した。
この工事を請負ったのが佐藤助九郎ひきいる佐藤組である。この工事を成功されたことがその後の佐藤組躍進の基礎となった。
デ・レイケによる改修工事の特徴
改修計画図・明治時代の堤防
(1)用水の合口化
それまで川に沿っていくつも設けられていた用水の取入口を、上流の一箇所にまとめる。
(2)河道の直線化と白岩川との分離
河口近くで蛇行していた区間の西側に新たに直線の河道を作り、合流していた白岩川と分離する。
(3)土砂の流れを考慮した新たな稼働をつくる。
氾濫した洪水の後に沿って新たな河道を作り、上流からの土砂を含む強い流れが予想される方向に川の流れを変える。
【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋