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金屋石採掘跡

2017.1.6

良質の緑色凝灰岩(グリーンタフ)

春の金屋石採掘跡

春の金屋石採掘跡

平成23126登録

金屋石材山主会(砺波市庄川町庄字加羅谷)

庄川の右岸、合口ダムから小牧発電所対岸寒原(神原とも書く)の南方一帯、約1千メートルにわたって青白色の岩盤が無尽蔵に埋蔵され、ここから採掘される石を「金屋石」といい、藩政時代から各所に広く使用されてきました。

この石質は純良な緑色凝灰岩であるため細工がしやすく、しかも比較的弾力性に富み、建築用材として多く用いられるだけではなく、神社や寺院の狛犬燈籠などをはじめ、各種装飾用にも好評を博してきました。

採掘地は、古来庄金剛寺村(のちの雄神村)領に属していましたが、採掘には主に庄川をはさんだ対岸の金屋の人々が当たってきたので、次第にこれらの人々の持山と変わり、石材も金屋石と呼ばれるようになりました。切り出した石材は、庄川左岸川原の中州で代1次加工を行い、その後 石屋に運ばれました。この中州は古くから石屋島と呼ばれ、昭和30年ごろには対岸の山腹と石屋島を索道で結び、運搬の合理化を図りました。

金沢城と金屋石
対岸から見た採掘跡

対岸から見た採掘跡

伝えによると、加賀藩主前田利常は寛永9年(1632)に金澤城を再建しましたが、このとき金屋石が使われたといいます。現存する資料によると、天保14年(1843)以来、金澤城修築工事に際し金屋石を樋石にするため運ばれました。この樋石(石管ともいう)は、昭和45年金澤城跡学術調査委員会の手によって数十本掘り出されました。そして、兼六公園や城跡周辺の小公園、庄川の水記念公園などに置かれています。   

金屋石の採掘権をめぐって、嘉永5年(1852)4月、庄金剛寺の山主と金屋石黒村の石工が相争い、十村役の三清村与一郎らが詮議に当たりましたが、金澤城修築に使う御用石だけは納入にさしつかえないようにとの処置がとられました。しかし以後も、度々争いが繰り返されたといいます。

その後、大正9年3月には金屋石材会社が設立、両村の人が其の役員となり営業を続けましたが、時勢の波に抗しきれず、昭和5年には解散してしまいました。


それ以後は細々と採掘は続けられたが、近年になって、後継者不足などが原因して、ほんの僅かの石材店を残すのみです。現在、採掘跡は、水記念公園から見られます。

金屋石の歴史
庄川町史p198 金屋石の採掘場跡と索道

庄川町史p198 金屋石の採掘場跡と索道

  • 1632年(寛永9) 加賀藩主前田利常が金沢城の再建に金屋石の石管(樋石)を用いた。(伝承)
  • 1830年(天保1)〜 金沢城の記録に金屋石が登場する。
  • 1845年(弘化2) 金屋岩黒村に伊右衛門・六兵衛・与三郎・伝右衛門・兵三郎・庄兵衛・九次郎・栄次郎の8軒の石屋が記録される[1]
  • 1852年(嘉永5) 十村役が金屋岩黒村の石工と山主に採掘の差し止めを申し渡すが、間もなく再開され金沢への御用石の切り出しが行われた。
  • 1858年(安政5) 安政の大地震が起こり、青島村の伝四郎らは飛騨の道路・河川などの災害復旧工事を請け負う。
  • 1862年(文久2) 青島村の伝四郎らは富山藩八尾の奥野積山の三ヶ用水拡張工事を請け負う。
  • 1879年(明治12)は石材工・木工業に携わる職人は18人だったが、1892年(明治25)には49人に増加している。
  • 1884年(明治17) 砺波郡役所が課税を行うため石工に鑑札を交付。
  • 1903年(明治36) 青島・金屋において養蚕・製紙・薪炭に並ぶ主要産業となる。
  • 1920年(大正9) 金屋の藤掛清太郎ら19人が発起人となって金屋石材会社を設立
  • 1923年(大正12) 石材採掘に火薬を使用するようになり、井波警察分署へ岩石破砕願を提出する。
  • 1926年(大正15) 第一次世界大戦後の経済恐慌の余波を受けて金屋石材会社の資本金が半減する。
  • 同年 現場を担当する石材職工組は改組独立して金屋石工組を組織。事務所は金屋石材会社内に置いた。
  • 1930年(昭和5) 金屋石材会社が解散
  • 1937年(昭和12) 金屋石工組が解散
  • 1950年(昭和25) 県営富山球場のスタンド外壁の一部に金屋石が使用される。
  • 1958年(昭和33) 中川吉蔵・石森吉太郎・石沢米吉らは石材生産加工の立て直しを図る。
  • 同年 文部省は重要文化財金沢城の石川門などの修築工事を行う。金屋石工の石沢米吉は石樋工事を破格値で請け負い、約1週間の突貫工事で立派に仕上げる。
  • 戦後、建築材として販路を見い出したがコンクリートの普及により低迷期を迎える。しかし、庭園の灯籠など美術工芸品として再び脚光を浴びるが、石工職人は減少の一途をたどる。
  • 1970年(昭和45) 明治から続く石材店はわずか2軒となる。

  • p197 金沢城で使われていた石管

  • p197 金沢城で使われていた石管

    金屋石採掘跡

  • 金屋石採掘跡

    古い採掘跡

所在地

 富山県砺波市庄川町庄
アクセス
砺波駅から車で20分