『佐藤助九郎展』
-
- 2015.1.30
10佐藤組を支えた手代たち−各組のハッピ− - 組はいくつかの配下組織を有し、配下はそれぞれの工事現場の直接担当者として責任を負った。この配下の工事現場には、組から派遣された手代(番頭)が経理責任者として工事現場の監視と出納の任にあたった(『110年のあゆみ』)。 組−手代(番頭)−配下 この組ごとに法被の図柄があったようで…
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
9電力工事 - 初代助九郎がいち早く鉄道の時代が来ることを予想して、東海道線の工事に進出したように、二代助九郎もまた、次なる時代の到来を予想していた。 幼少のころから常願寺川の洪水に苦しめられ、その縁があって柳瀬の佐藤家に養子に入り、佐藤組の跡を継いだ二代助九郎は水の力の恐ろしさを知ると同時に…
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
8−4鉄道工事 - 上:北陸鉄道竹田川鉄橋工事下:小矢部川橋梁工事
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
8−3鉄道工事
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
8−2鉄道工事 - 明治30年に富山県ではじめて開業した中越鉄道の敷設工事を請負ったのが佐藤助九郎である。 島田孝之、大矢四郎兵衛などによって設立された中越鉄道株式会社に免許状が下付されたのが明治28年11月、翌29年には1月には、和田義睦を技師長とし、請負は佐藤助九郎に決定した。佐藤組は、同年6…
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
8−1鉄道工事
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
7−2庄川改修工事 - 堤防を連続させず、ところどころ切れ目を作り、あるところは二重や三重に重なるところを作っておく堤防のことである。大水が出て、内側の堤防が切れ、水があふれ出たりしても、外側の堤防でその流れを防ぎ、水流を再び川の流れへもどしたり、堤防間に一時的に水をたくわえておくことができるしくみで…
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
7−1庄川改修工事 - 明治29年夏、富山県一帯は大洪水に見舞われた。当時佐藤組は北陸鉄道建設工事に従事していたが、この洪水により、佐藤組は県内七河川の治水工事を一手に引き受け、その請負金額百何十万円の巨額に上ったという(『日本鉄道請負業史 明治編』)。 しかしながら現在佐藤工業に残されている史料の中で…
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
6−4常願寺川大改修工事 - 左上:天秤棒で左右に大きな石をのせて運ぶ男(‘個人蔵)右上:石炭箱で砂利を運ぶ女たち(個人蔵)左下:沈床工事(木で作った枠の中に石を詰めて川底に沈める護岸の方法)(個人蔵)右下:新たに導入されたトロリ車両(トロッコ)で運ぶ(個人蔵)
- 2015.1.30
-
- 2015.1.30
6−3常願寺川大改修工事 - 貴堂家に残る文書は断片的で佐藤助九郎がこの工事にかかわっていたということはわかるが、工事の全貌は不明である。 しかし少なくとも工事区分としては第1〜第4方面に分けられており、それぞれの方面ごとに「監督長」が充てられており、佐藤組でもそれに対応して手代配置がなされていたことがわか…
- 2015.1.30