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「砺波野の草相撲の力士たち」の記事

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2、砺波地方の相撲の嚆矢(こうし)

2015.1.30

  

「御用諸触留 宝暦七年 地」川合文書

「御用諸触留 宝暦七年 地」川合文書

宝暦七年、加賀藩は、戸出村の神事相撲の際などに不届物を取締まるように申し渡す

(「御用諸触留 宝暦七年 地」川合文書 富山大学付属図書館蔵)

宝暦7年(1757)7月、加賀藩は神事の時など、相撲のうえに不届きの行ないをする者がいた場合には召捕えて指出すように、各郡の十村へ触れた。具体的に、砺波郡戸出村で相撲が行なわれ、神事を妨げたものがいたようである。

   
「御用留帳 安永二年抄録」

「御用留帳 安永二年抄録」

安永二年、幕府は素人相撲が木戸銭を取ることを禁じる

(「御用留帳 安永二年抄録」 南砺市福光図書館蔵)

安永2年(1773)、幕府は相撲渡世集団以外の素人相撲が木戸銭を取ることを禁じ、全国へ触れた。その時の触れを書き留めたものである。砺波地方へも相撲を渡世とする集団が来て、相撲興行していたことや、地方でも素人相撲が行なわれていたことが推定できる。

出町の相撲
(2点とも「出町史料」 砺波市立砺波図書館蔵)

(2点とも「出町史料」 砺波市立砺波図書館蔵)

出町でいつ頃から相撲が行なわれるようになったのかははっきりとはわからないが、天保9年(1838)8月14日の日付のある不動島屋源助の手紙に「角力以前之通り桟敷もかけ、大孝山兄弟朝拝に参り、大印も十枚計可参由、中印十枚余ハ表向雇ニ而、全体未聞之大角力興行之由ニ御座候」とあり、当時の相撲の盛況振りがしのばれる。慶応元年(1865)には見物人の重みで相撲見物のために設置していた桟敷が壊れ2人の死者を出したのでそれ以降宮相撲は廃止されたという。  



【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】