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「砺波野の草相撲の力士たち」の記事

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5-1砺波野の相撲をリードした越中国相撲頭取たち

2015.2.3

出世相撲定事

出世相撲定事

出世相撲定事

(「出町史料」砺波市立砺波図書館)

天保8年(1837)、江戸相撲年寄浦風林右衛門が越中に下向し、初めて国頭取を設け、相撲講を結んで相撲の定書を作った。

越中国相撲歴代頭取一覧
越中国相撲歴代頭取一覧

越中国相撲歴代頭取一覧

現存する史料では初代から22代までの頭取名が記録されている。
これらの資料には、それぞれの頭取がいつ任命されたかが記されていないのではっきりしたことはわからないが、第6代櫻山栄助からは「東京相撲年寄□□門人」と記され、それ以前は「江戸相撲年寄□□門人」となっていることより、5代目の砺波山栄五郎あたりが明治維新に近い年代だと思われる。その他のさまざまな記述により、10代目湊川與三市が任じられたのは大正初年、21第熊勇助治郎は昭和戦前、22代の三ッ浜は戦中から終戦直後の頭取であろうと推定できる。 また、わかっている22名の頭取の内、砺波市内の人が13名(内1人は旧庄川町)いる。他は小矢部市が3名、南砺市旧井波町4名、同じく南砺市旧福光町2名という内訳である。圧倒的に出町を中心とする砺波市内が多い。これはとりもなおさず、砺波地方の相撲の中心は出町であったということであろう。

出町ではじめての国頭取 二代目頭取 花見山八兵衛
花見山八兵衛の石碑

花見山八兵衛の石碑

花見山八兵衛の石碑 文久元年(1861)建立

 砺波市苗加 (注)もとは出町上町にあったが、道路拡張のため深江江ノ上に移転され、さらに、道路拡張のため現在地へ移転された。(後述力士碑4-1) 二代目頭取 花見山八兵衛(出町 中保八兵衛)

八兵衛の宿屋商売願書と宿鑑札
八兵衛の宿屋商売願書と宿鑑札

八兵衛の宿屋商売願書と宿鑑札

(舘修家文書 砺波郷土資料館蔵)

八兵衛は、現役引退後(と推測される)元治元年(1864)に出町の西町(地所は深江)で宿屋商売を営んだ。多くの弟子を育てるのに都合がよかったと思われる。



【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】