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「砺波野の草相撲の力士たち」の記事

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5-2砺波野の相撲をリードした越中国相撲頭取たち

2015.2.3

三代目頭取 

相撲対戦表(砺波市矢木 個人蔵)

相撲対戦表(砺波市矢木 個人蔵)

由良戸常吉(太田常吉)
瑞泉寺で最も古いと思われる大関額の中に記された相撲年寄12名の内の一人である。
明治5年(1872)に矢木村で行われた相撲の世話役にも名が上がっている。
明治7年に太田で建てられた石碑(後述力士碑51-4)に名が刻まれている。

四代目頭取 石割次郎吉
石割追善角力香典記

石割追善角力香典記

四代目頭取石割次郎吉
(矢木 根尾次郎吉)

文化3年(1806)、矢木村(現砺波市矢木)で生まれる。 若い頃江戸相撲へ行き、「石を割るほど」強かったので四股名を「石割」としたという。 郷里へ帰ってからは多くの弟子たちを育てた。慶応3年(1867)9月には、加賀藩の「御手木組」より「当国頭取」の免許が与えられている。
明治15年(1889)3月に75才で没したが、その死を悼んで、没後4ヶ月の7月21日に、弟子たちにより盛大に追悼相撲大会が開かれた。 明治9年に石碑建立(後述力士碑8)

五代目頭取 砺波山栄五郎
砺波山栄五郎免許 慶応4年(個人蔵)

砺波山栄五郎免許 慶応4年(個人蔵)

五代目頭取 砺波山栄五郎 (新明 清原栄五郎)

六代目頭取 櫻山栄助
櫻山の石碑

櫻山の石碑

六代目頭取 櫻山栄助 (出町 近藤栄助)

文政8年(1825)、出町に生まれる。 江戸時代末年には西町で料亭を営んでいたが、昭和初年には廃業したらしい。明治21年(1888)8月23日に没した。

亡くなる直前の7月には鬼ヶ崎政吉ら門人たちにより石碑が建てられている。現在は出町共同墓地内の近藤家歴代の墓の横に建てられているが、もとは神島往来と西回りバイパスの交差点東側にあった。



【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】