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「砺波野の草相撲の力士たち」の記事

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5-4砺波野の相撲をリードした越中国相撲頭取たち

2015.2.3

十三代目頭取 鬼ヶ崎政吉

鬼ヶ崎政吉

鬼ヶ崎政吉

十三代目頭取 鬼ヶ崎政吉 (出町 宮本政吉)

安政6年(1859)7月1日生まれ。若い頃、東京大相撲の幕下4枚目まで進んだ。明治20年(1887)に金沢で行われた金沢・加賀・越中の合併相撲には、東の大関に「東京 鬼ヶ崎政吉」とある。また、この番付には「大関」であるとともに「勧進元」としても名がある。明治24年の出町神明宮での相撲には「大関 深江 鬼ヶ崎政吉」とあり、この時までに東京から出町(地所は深江)へ居を移していたらしい。これ以降、地方相撲の番付、取り組みの箇所と「勝負検査役」などにその名が見える。 大正12年(1923)8月11日死去、享年64歳。

地方相撲の番付では、すべて筆頭の大関に名があり、若い頃はもとより、年老いてもなお「年寄相撲」で活躍し、出町相撲の振興に果たした役割は大きい。

二十一代頭取 熊勇助治郎
熊勇の石碑

熊勇の石碑

二十一代頭取 熊勇助治郎 (出町 竹本助次郎)

明治13年(1880)に射水郡紅屋村(現高岡市紅屋)に生まれる。 小桜の門人となり相撲の修行に励み、明治41年には瑞泉寺で大関となった。 明治43年には出町へ居を移し、料亭「熊勇」を営みながら弟子を育て、後に頭取となった。

昭和18年(1943)2月16日に没した。享年64歳。

「頭取系図」には名がないが頭取免許を授けられた二人の頭取
砺波川免許

砺波川免許

砺波川庄衛門 (中野 今井庄兵衛)

天保4年(1833)10月20日、中村村(現砺波市中野)に生まれる。地方相撲で活躍し、井波瑞泉寺で大関となる。慶応3年(1867)には加賀藩御手木組から角力世話人免許を受けた。明治16年(1883)6月には、弟子や若連中によって石碑が建立され(後述力士碑12-3)、同年9月には、東京相撲年寄湊川四郎兵衛から頭取免許を授けられた。

明治38年(1905)7月8日に73歳で死去した。



平木野要蔵(砺波市太田 個人蔵)

平木野要蔵(砺波市太田 個人蔵)

平木野要蔵 (太田 平木與三衛門)

嘉永元年(1848)ごろ、太田村(現砺波市太田)に生まれる6尺1寸(1メートル85センチ)と体が大きく、江戸へ出て相撲の修行をしたあと、太田に帰って地方相撲で活躍した。そのかたわら、多くの門弟を育て、江戸時代の越中興行や、加賀、能登、越中の三国相撲・各地の地方相撲の興行の世話をした。

明治26年(1893)には、東京相撲年寄浦風林右衛門から頭取の免許を授けられた。

大正12年(1923)9月13日に死去した。




【砺波市立砺波郷土資料館 第30回郷土先人展「砺波野の草相撲の力士たち」2007年より抜粋】

  • 明治20年金沢・加賀・越中合併相撲番付

  • 明治20年金沢・加賀・越中合併相撲番付

    明治24年出町神明社での相撲番付

  • 明治24年出町神明社での相撲番付

    平木野免許