根尾氏宛織田信長朱印状
2013.3.9
「天下布武」の朱印が輝く
織田信長朱印状
根尾氏宛織田信長朱印状(ねおしあておだのぶながしゅいんじょう)
平成23年7月27日・市指定
砺波市矢木(個人蔵)
この文書は、天正2年(1574)5月26日付けで、織田信長から根尾右京亮(うきょうのすけ)などに宛てて越前国小山七郷(現在の福井県大野市周辺)の土地の支配と現地の役人を任命した書状です。
根尾氏のルーツは美濃国
根尾谷の位置
根尾氏はもともと美濃国根尾谷(現在の岐阜県本巣市)の豪族で、根尾家系図によると根尾右京亮は信長に従って転戦し、天正10年(1582)に本能寺の変で討死したとされています。
天正2年(1574)、一向一揆は越前の織田信長軍を追放し、大坂の石山合戦に参戦していました。根尾谷は越前から温見峠を越えた場所にあり、一向一揆が大坂に向かうルートに位置するため、信長は根尾氏に小山七郷の土地と支配権を与えるかわりに一向一揆を防ぐように命令しているのです。
子の九郎左衛門宗胤は砺波郡庄下郷(現在の砺波市坪内周辺)に移住し、川跡を開きました。その後、千保川の水害などもありましたが、村の石高は着実に増加し、明治末年には根尾氏は高二千石の大地主に成長しました。
信長文書が文化財に
天下布武の朱印
富山県内において信長に関する文書は2通しか見つかっていません。この文書はそのうちのひとつです。この文書は、中世末に砺波平野へ移住して開発にあたった事例の証であり、貴重な意味をもつといえます。