知る 歴史にタイムトラベル

 

関連タグのフォト

「『佐藤助九郎展』」の記事

  • 10佐藤組を支えた手代たち−各組のハッピ−
  •  組はいくつかの配下組織を有し、配下はそれぞれの工事現場の直接担当者として責任を負った。この配下の工事現場には、組から派…
  • 9電力工事
  •  初代助九郎がいち早く鉄道の時代が来ることを予想して、東海道線の工事に進出したように、二代助九郎もまた、次なる時代の到来…
  • 8−4鉄道工事
  • 上:北陸鉄道竹田川鉄橋工事下:小矢部川橋梁工事
  • MORE

5−1川とのたたかい

2015.1.30

庄川と常願寺川の万延元年(1860)普請箇所の絵図

庄川筋砺波郡用水口堅水門等普請ヶ所見取絵図

庄川筋砺波郡用水口堅水門等普請ヶ所見取絵図

万延元年(1860)6月
庄川筋砺波郡用水口堅水門等普請ヶ所見取絵図(川西縁)
(縦40×横636cm)

縦40センチ、横6メートルにもおよぶ絵図である。

庄川が山から平野部へ出る弁財天前から、射水郡境の徳市村まで、庄川左岸の用水口堅水門等の普請箇所が記されている。管轄の十村が加賀藩へ報告したものの写しであろう。

口堅等用水普請境、川除普請土居、石川除、川並用水、道などを符号によって区別して記載している。柳瀬・東開発村域の部分を展示した。

   
新川郡常願寺川筋御普請所分間絵図

新川郡常願寺川筋御普請所分間絵図

万延元年(1860)10月
 新川郡常願寺川筋御普請所分間絵図
(縦40×横533cm)

縦40センチ、横5メートルあまりの絵図である。

安政5年(1858)の大地震後、加賀藩は3年を費やして常願寺川の大改修をおこなったが、その結果を、管轄十村が藩へ報告した絵図の控である。

先の普請の時の川除土居、石川除、羽取と御郡所が担当した土居、富山御領の普請場所などを区別して記載している。さらに鳥足、蛇籠、杭、用水口水門、村ごとの普請境、一村のうちでの担当場所の境、人家なども符号によって記される、非常に精密詳細な絵図である。



【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋