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6−2常願寺川大改修工事

2015.1.30

助九郎、常願寺川改修工事を請負う

個人蔵

個人蔵

佐藤助九郎から県知事宛、請負契約書(控)

明治25年7月20日

明治25年、県知事宛、請負契約書(控)

 明治25年7月20日、佐藤助九郎が富山県知事森山茂へ宛てた契約書の下書きと思われる。

 常願寺川改修工事において大中島前から一本木間の藤蔓・杭木などを約1万円で請負ったといわれていたが、実際の契約書は今までのところ県の公文書中にも存在しない。本契約書は、常願寺川工事のうちのごく一部の契約内容にすぎないが、佐藤助九郎がこの工事に携わったことがわかるので貴重である。

(注)この契約書の日付を一応「7月20日」としたが、「廿」と「日」の位置が離れているので20日以降、30日までの間の日を書き入れることができるようになっていることを断っておく。

助九郎とデ・レイケとの接点

土木工事請負人の佐藤助九郎が内務省の技師デ・レイケから直接指導を受けた形跡はないが、デ・レイケの指導に基づいて実際に現地で工事監督をしていた県の土木技師高田雪太郎を通して、間接的にデ・レイケからの指示を受けていた可能性はある。というのは、雪太郎は毎日日記を書いており、その中に助九郎の名がたびたび登場するのである。中には、常願寺川工事の期間中の明治25年7月に、知事から朝日一本木間の堤防工事の進捗が遅れていることを指摘され、雪太郎はただちに助九郎のへ工事遅延の理由を問いただし、夜間工事を行ってでも急ぐように指示を出したとの記述がある (建設省富山工事事務所 市川紀一著「常願寺川治水史−Johannis de Rijkeと高田雪太郎の功績−」)のである。

 雪太郎と助九郎の関係は、常願寺川工事と先立って実施された雪太郎設計の愛本橋架設工事を助九郎が請負ったことからはじまり、雪太郎は助九郎をかなり信頼していたと思われる。




【砺波郷土資料館 『第31郷土先人展 庄川の川工事が生んだ実業家 「佐藤助九郎展」』2008年より抜粋